ほっとちょこれーと

毎年、この日になると氷帝学園の裏門には大きなトラックが何台も停まる。もはや年中行事であるし、一年の頃はそりゃあ驚きもしたが今回で三回目ともなれば、慣れもする。ああ、またかくらいの殆ど感動のない感想を抱きながら下駄箱からローファーを取り出そうと下駄箱の扉を開けた、まさにその時だった。

「忍足くん!」

名前を呼ばれその声のした方へ顔だけ向ける。髪色の明るい、俺の知らない女子がそこには立っていた。――いやまあ、同じクラスの女子くらいしか知らない俺にとって、校内殆どの女子生徒は知らない女子なのだが。
くん付けで呼ぶということはおそらく同学年か。さすがに後輩女子にくん付けされるほど愛想のいいキャラではないし、そもそも知らない後輩女子からくん付けされるのはこちらの心象がよくない方へ傾くからやめて欲しい。たった一人の、知っている後輩女子を除いて。

「えっと、なに? 俺、ちょっと急いでんねんけど」
「これ、受け取って!」

有無も言わさず、という言葉通りその子は足早に俺との距離を詰めたかと思えば、持っていた包みを俺に押し付けてくる。さすがに、押し付けられたものとは言え、無碍にすることも出来ない。そしてむこうがすぐに手を離してしまったものだから俺は慌ててそれをキャッチした。落とさなくてよかった、という思いと自分が他人に渡したものなのにちょっとぞんざいに扱いすぎじゃないか? という思いで僅かに眉が寄る。

「あの、あたし、前から忍足くんのことが好きで――」

ああ、しまった。そうか、本命はこっちか。そんなこと考えたところで後の祭りもいいところ。最近はこういう告白イベントもなかったからつい油断していた。けれど、考えてみれば今日こそ告白する絶好の機会もない。何せ今日は二月十四日。バレンタインデー。あとうちの鳳の誕生日でもあるのだけれど、たぶんこの子はそんなこと知りもしないだろう。

「気持ちは嬉しいんやけど、俺彼女おるからその想いには応えられへん」
「じゃあ、その子と別れて!」
「は?」

自分でも驚くほど低い声が出た。慌てて口元を覆うけれど、向こうは聞こえていなかったのかそれとも聞こえていて敢えて無視しているのかケロリとしている。それどころか俺が口を挟まないことを好機ととったのか自分アピールを始める始末。いつも静と一緒にいるからか、自分を押せ押せにアピールしてくる系の女子はどうも苦手意識を覚えてしまう。
……ちゅうか、この子が好きなんって俺やのうて自分やん。
うっかり口から出そうになったそれを飲み込んで、どう話をぶった切ろうか考える。普通彼女がいると聞いた時点で諦めるものだと思うのだけれども、どうやらこの子は自意識過剰な上に状況が飲み込めない子らしい。そういえば学園祭の時にも似たような子に告白されたような気がする。もうあまり覚えていないけれど。

「最初に言うたやろ。俺には彼女がおるし、その想いには応えられへんて」
「だからその子と別れてって言ってるじゃない! 絶対あたしの方が忍足くんとつり合うもの!」

だからその自信はいったいどこから来るのだろう。どうして自分が俺とつり合うなんて言い切れるのだろう。俺からしてみれば今日初めて認識したような子だし、正直名前も知らなければ興味もない。変にプライドだけが高いというのは本当に厄介だ。どんどん面倒くささゲージが上がっていく。久しぶりにこんな精神的に疲れる場面にぶち当たってしまい、俺は心を閉ざす。

「つり合いなんて取れへんやろ。自分、俺のどこが好きか言うてみ? さっきから自分のことばっかやん。大体、別れろ言われて別れるくらいの愛情しかないとでも思うとんのか? それと俺の彼女のこと何も知らんくせに知ったような口きかんでくれるか? 少なくともあの子は今の自分みたく俺の意思を捻じ曲げてまで自分の都合を押し付ける子やない。あと、全然タイプやないから最初っから勝負の場にも立ってないで、自分」

むこうがまくし立ててくるのなら、こちらだって容赦はしない。一息で言い切ると、押し付けられた包みを突き返す。多少言い過ぎた感は否めないけれど、これくらい言わないと絶対このタイプは聞かない、というのは学習済みだ。だけど――、

「最低!」

バチン。
鼓膜が音を拾い、それからじわじわと右頬が痛みを訴えてくる。平手打ちを喰らったのか、と理解する頃には目の前にいた女子はいなくなっていて。そういえばあの手の女子は逆上して手をあげてくるというのも経験済みだったのにすっかり忘れていた。だけどこれで問題は無くなった。禍根は残りそうだけれど、そもそもが名前も知らないような相手だ。気にするだけ損、ということもある。
開けっ放しになっていた下駄箱からローファーを取り出し、上履きから履き替えてそれを下駄箱に戻す。パタン、という音と共にかけられる声に驚いて今度は体ごとそちらへ視線を移す。

「侑士、先輩」

顔を真っ赤にし、けれど大きなブラウン・ダイヤモンドには涙を溜めている、という一見してどういう心理状態なのか分かりづらい静は、慌てて俺の元へ駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか? ハンカチありますよ」
「ん、おおきに。そういえば前にもこんなことあったなぁ」

それは夏にあった学園祭での出来事。告白されて断ったら平手打ちを喰らったというあまり面白くない思い出。ついさっきまで殆ど忘れていたけれど、静がハンカチを差し出してくれたことで思い出した。借りたハンカチを右頬に当てながら歩き出すと、静もそれに続いてくれる。

「ちゅうか、校門で待っとってって言うたやん。なんで昇降口まで戻ってきとるん?」
「いえ、その……ちょっと心配になっちゃって……」
「俺がなかなか校門に現れなかったから?」
「はい。もしかしたら何かあったんじゃないかって。メッセージも既読にならないから、私、あの……」

ああ、なんて優しくていい子なのだろう。胸の内を甘く締め付けられてにやけそうになるのを必死に我慢する。

「で、どこから聞いてたん?」
「えっ、あ……、そのっ」

静の顔の赤みと涙目はおそらく俺とあの女子との会話を聞いてのことだろう、というのはなんとなく想像がついていた。そうじゃなかったらあんな顔にはならないだろう。ちょうど殴られたあたりだろうか、なんてあたりをつけていると静からは意外な返答をもらうことになる。

「最初から、です」
「最初? ホンマ?」
「はい」
「……あー」

マジか。
優しくて気遣いのできる静のことだ。あの会話に割って入るなんて思いつきもしなかっただろうし、もしかしたらいけないことをしているとすら思っていたかもしれない。確かに普通の告白の場では気を利かせて立ち去るものだ。けれど、あの場では静は当事者の一人であるし、何もいけないことなんてしていない。むしろ堂々と胸を張って話に入ってきてもいいくらいだ。
……静にそんなことしてほしくはないし、万が一入ってこようものなら向こうの話もヒートアップしていたに違いない。そうなれば俺の堪忍袋の緒が切れていたかもしれないから静が静観してくれてよかったと思っている。

「ホンマすまんな。静に嫌な思いさせてもうたな」
「いえ、全然! ……というか、その、ちょっと嬉しかったというか」
「嬉しかった?」

あの泥沼場面のどこに嬉しさを感じるポイントがあっただろう、と思い返す。けれどどんなに思い返してみてもそんなポイントは見つからない。

「侑士先輩にあんな風に想われてたんだなって改めて知れて嬉しかったです」

にこり、と未だに頬を染めながら作られる笑顔はなんとも可愛らしくて。俺の心の暗雲をいとも簡単に晴らせてしまう。
ホンマ、かなわんなぁ……。
俺の心中を余所に、静はもじもじと手をこすりあわせ、少しばかり言い難そうに言葉を探している。どうかしたのか、と尋ねれば一つ呼吸を置いた後、まっすぐ綺麗な瞳が俺に向く。

「あの、今日なんですけど、侑士先輩のお家に行ってもいいですか?」
「別にエエけど、どないしたん?」
「侑士先輩のお家でバレンタインのお菓子作らせてもらえたらなって思って。この間レシピ確認したら出来立てが一番美味しいって載ってたので、その……」
「そういうことなら大歓迎や」

薄く笑えば静からは花のような笑みが返ってくる。痛い目を見たけれど、そんなの全部吹き飛んでしまった。
それじゃあ、材料持って後で行きますね! なんてやり取りをしながら一緒に歩く帰り道はとても、とても幸せだった。

==========
ハッピーバレンタイン!