恋愛Lv.1


宝石が丘学園を卒業して早三年が過ぎた。
なんとか大きな事務所に籍を置かせてもらうことができて今もこうして声の仕事をさせてもらえている。
未だに新人の枠を出られないから仕事自体はあまり多くはないけれど、一つ一つ丁寧に取り組んでいるおかげでスタッフさんからも褒めてもらえることが多く、顔も覚えてもらえるようになった。それが嬉しい反面、まだまだだなぁ、と感じることも多くて声優業界の難しさを日々感じている。
そんな中、今日はとあるゲームの収録があり、私は都内にあるスタジオに来ていた。

「おはようございます」

ドアを開けて一礼。既に来ていたスタッフさんと共演者さんの視線が一気に向けられる。一瞬どきりとしたけれど、気を取り直して笑顔を作る。

「今日はよろしくお願いします」
「あれ? 特……天音か?」

久しぶりに聞く、聞き覚えのある声に視線を彷徨わせる。と、その声の主がひらひらと右手を振っているのが見える。
深い海のような青い髪をハーフアップにし、特徴的な丸眼鏡の奥に輝く瞳は宝石のように輝いている。にこりと浮かべる笑みは人懐こさを内包しつつも男性らしいきりりとしたもので。声優の情報誌などで姿を目にすることはあっても、こうして実際に会うのはこの人が卒業をしてから実に五年ぶりだった。
というか五年も経っているとは思えないくらい昔のままだなぁ。

「青柳先輩」

私が名前を呼ぶと、青柳先輩は「おお」と更に笑みを深める。ドアから青柳先輩までの数歩の距離を詰めて、改めて頭を下げる。

「お久しぶりです」
「そうだな。俺が卒業してからだから五年ぶりくらいか?」
「そうですね。お元気でしたか?」
「元気だぞー。天音はどうだ?」
「私も元気にお仕事させてもらってます」
「そうか。そりゃよかった」

社交辞令にも似た挨拶を終えたタイミングでスタッフさんから収録開始を告げられる。
席に着き、鞄の中から台本を取り出す。指示されたページ数までページをめくり、軽く深呼吸。
大丈夫、ずっと練習してきたのだからその通りにやればきっとうまくいく。
自分にそう暗示をかけるように心の中で何度も呟く。
大丈夫、大丈夫。
そうして私の収録の番になり、台本を右手に持ちマイクの前に立った。

朝から始まった収録は日が暮れる頃には終わる目途がついた。
最後のセリフを録り終えて、スタッフさんのチェック待ちの間も台本に目を落とし自分の中で復習する。新人で、ただでさえ仕事が少ない今、一つ一つの仕事から得られるものは最大限吸収して経験に、糧にしなければならない。
えっと、確か、ここは監督が……。
言われたことを思い出しつつ、台本にペンを走らせていく。――と、スタッフさんからのチェックオーケーの声が上がり、場が一斉にざわつくのを感じ取る。
急がなくちゃ。
その焦りが更に筆記速度を上げていく。もう走り書きにも似た書き方だから後で何が書いてあるか判別できるといいけど、なんて思いながら。
ようやく書き終えて顔を上げると、スタジオにはスタッフさんが数人残っているだけで共演者の皆さんは全員退室した後だった。完全に置き去りにされてしまった状態に、急いで帰り支度を整える。鞄を抱えてスタッフさんに挨拶をしてスタジオを後にする。

「お先に失礼します」

ガチャリ、と重いドアがその口を閉じる。同時に背中にかけられる凛とした声。

「天音」

名前を呼ばれ、振り返る。するとそこには薄い笑みを作る青柳先輩が佇んでいた。
「青柳先輩?」

どうして青柳先輩がここにいるのだろう。あ、もしかしてスタッフの誰かを待っていた、とか? 共演者さん……は私以外全員もう帰ってしまっているからその中の誰かを待っているわけでもなさそうだし。
脳内で浮かんでは消える考え。けれど次の青柳先輩の言葉でそれら全てを否定される。

「待ってたぞ、天音」
「待ってたって、私をですか?」
「君以外に誰がいるって言うんだ?」

青柳先輩が小難しそうな顔をしながら首を傾げる。その動作を真似て私も首を傾げる。

「スタッフさんを待ってたんじゃ……?」
「なんでそうなるんだ。言っただろ、待ってたって。君、この後は直帰か?」
「はい、そうですけど」
「じゃあどこかで夕飯食ってかないか?」

突然のお誘いに私の口からは「え?」と唖然とした声しか出ない。
自分が誘われた、というのも驚きだったけれど、あの青柳先輩が外食をしようと提案してくるのも驚きだった。学生の頃は食堂で食べるよりも自炊した方が安上がりだと言っていたのに。どういう風の吹きまわしだろう。明日は雪が降るのかもしれない。――とここまで考えて、青柳先輩もプロの声優なのだから学生時代と違って金銭的余裕があるのかもしれないという結論に至る。

「都合が悪かったか?」
「あ、いえ。そうじゃなくて」
「だったらなんだ?」
「青柳先輩が外食なんて珍しいなって思っただけです」
「そりゃあ、普段は自炊してるが、だからといって久しぶりに会った後輩を自宅に呼べるわけないだろ?」

それはいったいどういう意味ですか――と訊きかけてすぐさまある考えに至るのと同時に私が導き出した結論はなんて浅はかだったのだろうと後悔する。
そ、そうだよね! いくら後輩とはいえ、私は女。学生時代ならいざ知らず社会人となった今の関係で部屋に呼ぶのはいくら何でも色々と思うところと考えるところがありすぎる。

「そ、そうですよね! すみません」
「別に謝らなくてもいいけど。で、どうなんだ? 都合が悪いならやめとくが?」
「大丈夫です。私も久しぶりに青柳先輩とお話ししたいです」
「そうか、そうか! なら行くか!」

青柳先輩がにかり、と笑う。その笑みは学生時代と何ら変わりのないもので。それがどこか懐かしくて嬉しくて。
どこに行こうか、なんて相談をしながら私たちはスタジオを後にしたのだった。


「あ、天音さん! ちょっといい?」

青柳先輩と再会したあの収録から三日が経った頃。所用があって事務所に顔を出すと、先輩声優から呼び止められた。

「はい、なんですか?」
「先日あったゲームの収録の話なんだけど」

その切り出しで全身が強張るのを感じ、一瞬にして嫌な予感が駆け巡る。
もしかしてリテイク、とか? でもちゃんとスタッフさんからはその場でオーケーをもらえてたし、大丈夫なはずなんだけど……。
不安が表情にはっきりと出ていたのか、先輩が苦笑しながら言葉を続ける。

「あ、悪い話じゃないのよ。いい話。監督が天音さんのことすごく褒めてたのよ」
「え? あ、そう、なんですか……?」
「私がここで嘘つく必要ないでしょ?」

確かに先輩の言う通り、ここで先輩が嘘をつく必要はどこにもない。素直にそれを受け止めると先ほどまで渦巻いていた不安はきれいさっぱり無くなってしまった。

「あ、ありがとうございます!」
「天音さん、頑張ってるものね。それが認められ始めたってことはいいことよ」
「はい」

頑張りが認められるって本当に嬉しい。学生時代の時も褒められることはあったけれど、こうして社会に出て自分の演じた声が褒められるのは格別に嬉しい。一人前にはまだ遠いけれど、その一歩を踏み出せた気がする。
胸の内でガッツポーズをする私に、先輩が何の気もなしに問いかけを投げかけてくる。

「そういえば聞いたわよ、天音さん。あの青柳くんと知り合いだったのね?」
「はい。学生時代の先輩で……って、あの青柳くんって……?」

先輩の言葉に引っ掛かりを感じる。あの、とはどういう意味なのだろう。まるで何かの噂話に出てくるような言い回しだけど。

「天音さんは噂話とかあまり興味ないのね」
「噂話、ですか?」

やっぱり青柳先輩、何かの噂話になってるんだ……。脳裏にかかか! と笑う青柳先輩の姿が映し出されて苦みを帯びた笑いがこぼれる。違う事務所の人間にまで名前を知られているっていったい何をしたんだろう……。

「えっと、確か青柳くんとうちの事務所の子が良い仲になってるって内容だったと思うけど」
「良い仲、というのはその……」
「まあ所謂恋人関係、よね。なんだか結婚秒読みって話も聞いたけど」
「結婚、ですか……」

結婚。将来を誓い合う仲になること。青柳先輩とうちの事務所の誰かが。
その事実が、何故か棘を持って心に突き刺さる。もっと言えばショックを受けた。それが不思議で仕方がない。どうして私は青柳先輩が他の誰かと結婚するかもしれないという噂話にこんなにショックを受けているのだろう。だって、青柳先輩は学生時代の先輩で、ただそれだけの関係のはず、なのに。
なんで、どうして、こんなにも嫌だと思ってしまうのだろう。
心が痛いと感じてしまうのだろう。

「大丈夫? 天音さん?」

先輩が顔の前で手をひらひらと振って、私の俯きかけていた意識を手繰り寄せる。
大丈夫です、と答えてみたものの、私の表情は返答に反して浮かないものだったらしく、

「あまり大丈夫そうには見えないけれど……」

なんて先輩の心配したような声が返ってくる。
そんな心配をされるくらいの表情をしてたのかな。自分の表情は自分じゃわからない。手持ちに鏡でもあれば別だけれど、生憎とそんなものは持っていないし持っていたとしても先輩の前で出すことなんてできない。
声優という、声で演技をする仕事をしているのに、どうして自分の感情を隠して大丈夫だと言い切れなかったのだろう。先輩にも心配をかけてしまうし、こういうところが私はまだまだなのかもしれない。

「本当に大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」
「そう? 天音さんがそう言うならこれ以上は野暮ね。それじゃ、私はこの後収録があるからここらへんで失礼するわね」
「はい。今日はありがとうございました」
「天音さんも色々とあるようだけど無理しすぎないようにね」

色々という部分を強調された気がするけれど、きっと気のせいだと思うことにして去りゆく先輩の背中に頭を下げた。

青柳先輩に結婚秒読みの彼女がいる。
この噂話が嘘か真かは私にはわからない。けれど火の無い所に煙は立たないという言葉もあるように、まったくのデタラメなら噂話にすらならないはず。ということは、やっぱり本当のことなのかもしれない。
だけどそれじゃおかしなことになる。青柳先輩にそんな存在がいたとして、じゃあなんでこの間会ったときにそれを言ってくれなかったのだろう。いや、言えないにしてもなんで一緒に夕飯を食べようなんて誘ってくれたのだろう。彼女がいれば絶対そんな提案はしてこないはず。下ネタや卑猥な発言が多かったし、よくからかわれたこともあったけれど青柳先輩は不義理な人ではない。想い人に対しては真摯に向き合うはずだ。
そんな先輩が彼女を差し置いて私に夕飯の誘いをしてくるなんて絶対おかしい。
そんなことを頭の中でぐるぐると考えながら事務所のガラスドアを開ける。いつにも増して重いと感じるそれは私の行く手を遮っているようでなんだか気まで重くなってくる。
はぁ、と一つため息を吐き出す。守衛さんがお疲れ様です、と明るい声をかけてくれたけれど、とてもじゃないけれどそれに返せるほどの元気が私にはなく、浅く頭を下げるだけになってしまう。
下げた視線を上げたところで、反対側の歩道に見覚えのある色を見つける。
あの特長的な鮮やかな青色は間違いない。

「青柳、せんぱ……」

けれど私の口はそれ以上音を奏でることなく止まってしまう。視線の先、反対側の歩道では青柳先輩と、そしてその後ろから駆けてくる一人の女性の姿があり私の瞳は二人に釘付けになる。
その女性は私が所属している事務所の若手の中で一番有名な声優さんだった。可愛げがある中にも一本芯の通った人。実力は言わずもがなで今メディアにも引っ張りだこの人。そんな人が今、青柳先輩の隣を歩いている。
ああ、あの人なのか。
一瞬で理解してしまう。あの噂は、噂ではなく事実なのだ、と。
何せ、青柳先輩の隣を歩く彼女はとても嬉しそうで、楽しそうで、対する青柳先輩も満更でもない感じで、傍目から見てもあの二人はいい仲なんだというのがわかる。色恋に若干鈍い私でもわかってしまう。

「……っ」

わかると同時に胸が締め付けられる。
苦しい。なんで。どうして。
どうして私はあの二人の姿を見て、嫌だ、なんて思うの? 見たくないと思ってしまうの?
わからない。わからないけれど、これ以上見ていることができなくて、私は視線を切る。と同時に視界があっという間にボヤけてしまう。
これは涙なんだ。
そう理解したのは、私の瞳からこぼれ落ちた滴がアスファルトを濡らした後だった。

「なんで、私……泣いてるの?」

泣いている理由が自分でもよくわからない。だけど心のうちに渦巻く感情は、辛い、苦しい、悲しい、寂しいの四つで。そしてそれはあの仲睦まじい二人を――いや、満更でもない感じの青柳先輩を見たからで。
青柳先輩。……青柳、先輩。
ここまでくればいくら鈍い私でも理解する。
ああ、そっか。そうなんだ。

「私、青柳先輩のこと、好きなんだ」

こぼした独り言は風にさらわれて消えてしまった。


それからまた何日か経った後で、先日収録したゲームの追加収録がある、という連絡を受けた。先日収録したゲームというのは、即ち青柳先輩と再会を果たしたあの現場ということで、私の気は漬物石よりも重かった。
けれどこれも頂いた大事な仕事。行きづらい、会いたくないなんて子どもみたいな言い分は通るわけもない。
そもそもこれは私個人の勝手な思いであって青柳先輩含め周囲の人たちにはなんら関係のないこと。だから私はこの複雑に渦巻く感情を押し込めて、いつも通り求められている演技をするしかない。
そう、頭では理解しているつもりだった。けれど、収録の結果は散々だった。何度リテイクを出したのか自分でもわからないほどだった。終いにはスタッフさんが気を遣って休憩を挟んでくれたほど。こんな駆け出しの新人のために貴重な時間を割いてもらい、申し訳なさと自分の不甲斐なさに泣きそうになったのも一度や二度ではない。
結局全ての収録が終わったのは終電少し前の時間だった。
共演者さんとスタッフさん全員に頭を下げて、私はスタジオを後にする。と、私の後をついてくる足音が一つ。

「天音」

優しい声色は今一番聞きたくない人のもの。
ゆっくりと振り返って、ぎこちない笑みを作る。

「なん、ですか? 青柳先輩」
「飯、食って帰らないか?」

それは、まるで悪魔の囁きのような提案だった。甘くて、魅惑的で、ともすれば心を預けてしまいそうな、そんな提案。この間までの、何も知らなかった私なら首肯したかもしれない。けれど、今の私は青柳先輩の色恋事情も自分の気持ちも知ってしまっている。そんな中、二人で食事なんてできるはずがない。

「いえ、今日は遠慮しておきます」
「腹、減ってないのか?」
「はい」

肯定すると同時に腹の虫が喚き声を上げる。ああ、何でこのタイミングでお腹が鳴るのかな。
その音を聞いた青柳先輩は目を丸くした後、

「君は嘘が下手くそだな」

と、へにゃりと笑う。その笑みが眩しくて、私は視線を切って足元へと落とす。

「腹減っただろ。今日は俺が奢るから行こう」
「いえ、本当に……大丈夫ですので」
「今日は頑なだな。俺が食事を奢るなんて滅多にないチャンスだぞ?」

そうですね、とは声が震えて言えなかった。

「ほら、行こう。天音」

青柳先輩の手が私の右手を取り、私はそれを払ってしまう。
払われた青柳先輩はもちろんのこと、払った私自身も驚く。けれどもうこれで後には引けなくなってしまった。

「天音?」
「だ、だめですよ青柳先輩。結婚秒読みの彼女さんがいるんでしょ? それなのに私をご飯に誘ったりしたら彼女さんが可哀想ですよ」

言いたくなかった。こんなこと本当は言いたくなかった。言ったら嫌われてしまう。だけどこうなってしまっては口が私の意思とは無関係に動いて、言葉を吐き出してしまう。
けれど、青柳先輩から帰ってきた反応は私の想像とは違ったもので。

「は? 何の話だ?」

何を言っているのか本気でわからない。
言外に込められた思いに、私の顔がはね上がる。
なんで、どうして。だって、あんなに――。

「あんなに楽しそうに二人で歩いてたじゃないですか」
「楽しそうに歩いてた? 俺が誰と?」
「私の、事務所の人と」
「天音の事務所……あー、あの人か!」

謎が解けたと言わんばかりに、青柳先輩はぽんと手を叩く。その反応と先輩の次の言葉に今度こそ私は困惑する。

「確かにあの人は結婚秒読みって状態だけど、その相手は俺じゃないよ」
「……え?」
「あの人は俺の事務所に在籍してる人と近々結婚する予定なんだよ。で、その惚気話を聞かされてたってわけ」
「え? でも、だって先輩だって満更でもなさそうな顔してたじゃ」
「それは、その……その惚気話を聞いて想像してたんだよ。俺と、天音に置き換えて」
「先輩と、私?」

頭がこんがらがってきた。
つまり、えーっと、どういうこと?
徐々に増えていく眉間のシワに気付いた青柳先輩が、「つまりな、」と言葉を続ける。

「俺は、あの人の惚気話を聞いて俺と天音もそういう風になれたらいいなって思ったんだよ」
「へ?」
「ったく、鈍いな君は! 俺は君のことが好きだと言ってるんだ!」
「……っ」

顔に一気に血液が集まるのを感じる。熱い。体が熱を持ったように熱い。だけどそれは私だけではなく青柳先輩も同じなようで、真っ赤になった顔を私に見せないようにそっぽを向いてしまう。その仕草が可愛くて――男の人に可愛いなんていうのはおかしいのかもしれないけれど、ふふと小さな笑みが漏れる。
私の言ったことは全て見当違いで、勘違いで、間違いで。それが証明されて、なおかつ青柳先輩からの思いを告げられて、空っぽだった心が満たされるような感覚に幸福感を感じる。

「君は?」

いつの間にか真っ直ぐ向けられる青柳先輩の視線。頬の赤みはすでになくなっている。

「君は、どうなんだ?」
「どう、とは……」

にじり寄ってくる青柳先輩から逃れるため、一歩足を引く。

「俺はちゃんと君に思いを告げたぞ。君はどうなんだ? 俺のことどう思ってる?」

青柳先輩がさらに距離を積める。

「も、もうすでに言ったようなものじゃないですか……!」
「ちゃんと聞きたいんだ。いいだろ?」

な? と、青柳先輩が優しく笑う。その笑みに危うく口元が緩みそうになるのを必死に堪える。
深呼吸を一回、二回。青柳先輩の表情をまともに見れなくて俯き気味に思いを告げる。

「わ、たしも……好き、です」
「ん?」
「私も、青柳先輩のことが好きです」
「そうか、そうか! 俺たち両思いなんだな!」

青柳先輩に腕を引かれ、その胸元にすっぽりと収まる。それがわかる頃には背中に腕を回されがっしりと抱きしめられていた。

「それじゃ、今日は俺の部屋に来るか?」
「えっ!? いや、それは……」

流石に今日の今日でそれは早すぎるんじゃなかろうか。青柳先輩にその気があったとしても私の方は心の準備がまだできていない。
色々と言い訳をこねくり回していると、青柳先輩が私に見えるように腕時計を、その文字盤を見せてくる。指されていた時刻はとっくに終電を過ぎていた。

「天音の家、ここから駅三つ離れてるだろ? タクシーを拾って帰るのもいいが、俺の部屋ここから歩いて帰れる距離なんだよ」
「そう、なんですか」

変な想像をしてしまった自分が恥ずかしい。青柳先輩は純粋に私の帰り道を心配して提案してくれていたというのに。

「それじゃあ、お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろんだ。じゃあ飯食って帰るか。今日は奢るぞ」
「え? 本気だったんですか?」
「なんだその言い草は。俺は君にはいつだって本気だよ」

ようやく力強い抱擁から解放されたかと思えば、今度は手を差し出される。いったいこれになんの意味が? と首を傾げていると、

「手。繋いで行くぞ」

と青柳先輩から少々照れ臭そうな声が溢れる。それに短く「はい」と答えて、先輩の手に自分の手を重ねる。こうして比べて見ることで先輩が男性であることが改めてわかる。私の手と違って骨張っていて大きくて、だけど温かくて優しい手。柔く握られた手をそっと握り返す。

「あんまり可愛いことしないでくれ」

なるべく今日は何もしないって決めてるんだからさ。
青柳先輩の独り言は私の耳に届く前に掻き消えてしまった。なんですか? と訊いても、先輩は決して答えてはくれなかった。