「おやすみ」って こんなに照れるものだった?

「それでな、岳人がな――」
「ふふ、向日先輩らしいですね」

いつもの他愛もない会話。雑談と言ってもいいかもしれない。だけどそれがとても楽しくて、心地良くて、幸せで。受話口から聞こえる彼女の優しくて柔らかな声が俺の凝り固まった心をほぐしていくようだった。
その気になれば毎日学校で顔を合わせることができるとはいえ、こうしてじっくり話す時間は無いに等しい。それは他学年であるということと、氷帝学園がだだっ広いということが主な原因であるけれど、それ以上に俺が静ちゃんの時間を占有してはいけないと思っているから。
本音を言えばずっと隣にいたい。そりゃあ恋人なのだからそう思うのは自然なことだけれど、彼女には彼女の学園生活がある。友人がいて、クラスメイトがいてそこで作られた人間関係がある。だから、昼間学園にいる間はどんなに話したくても我慢しようと決めている。それは彼女の世界を俺という一人の人間に閉じ込めておくのは勿体無いという気がするし、何より束縛はなるべくしたくないと思っているからで。
そのかわり夜に交わすこの通話だけは二人だけの時間を確保してもらっている。
その日あった面白かったこと、変わったこと、印象に残っていることなどを互いに話し合って、共有して、笑い合って、隣に居なかった時間を少しずつ埋めていく。
胸の奥底がじんわりと温かくなるような気持ちに包まれて自然と頬が緩む。

「侑士先輩、お時間大丈夫ですか?」
「ん?」

静ちゃんからの疑問で時計を見やる。と、二本の針は既に就寝時間を指し示していた。

「明日も朝練あるんですよね? そろそろお休みになられた方が……」

本当ならもっと話していたかったけれど、こうまで言われてしまっては大人しく寝ざるを得ない。さすがに明日の朝練に遅刻していくわけにもいかないし、万が一遅刻してそれを静ちゃんに知られでもしたら今後夜の通話もお流れになる可能性も否めない。それならどっちを取るかなんて決まっているようなもの。
だけど気持ちに嘘はつけなくて残念さを含ませながら一つ息を吐き出す。

「せやなぁ。遅刻すると後が怖そうやしな」
「ふふ……。そうですね」

受話口から聞こえる静ちゃんの声は茶目っ気に溢れていて、後ろ髪を引かれる思いだった。けれど、一度決めたことなのだからと未練溢れる気持ちに区切りをつけて終いの言葉を口にする。

「ほな」
「はい。おやすみなさい、侑士先輩。また明日学校で」
「ん。おやすみ、静ちゃん」

毎夜言っているのに、いつも終いの言葉に心臓が大きく跳ね上がる。
それはきっと静ちゃん相手だから。特別で大切で心を傾ける彼女に向けての、その日最後の言葉だからこそ。
終話ボタンを押して携帯電話を枕元に放っていそいそと布団に潜り込む。瞼を閉ざして大きく息を吐き出す。

「……おやすみなぁ、静ちゃん」

零した言葉は、静かに暗闇に溶けていった。

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学園祭の王子様Webアンソロジー「Love me more!2020」様に寄稿したもの。
主催様、素敵な企画をありがとうございました!