春が待ち遠しくて

到着時間をあらかじめ聞いていたというのに、久しぶりに恋人に会えることが嬉しくて浪速のスピードスターこと忍足謙也はその時間よりも三十分も早く駅に到着していた。嬉しくて、楽しみで、そわそわしている雰囲気が体中から出てしまい、周囲の人間がそれを感じ取り微笑ましい表情を作り謙也を見つめるが、当の本人はそれに全く気付かない。しきりにスマートフォンを見ては全然進んでいない時間に大きく息を吐き出す。
何十、いや何百とそれを繰り返し、ようやくその時がやってくる。

「待たせたなぁ」
「いや侑士かい!」

周りに憚らず全力でツッコミをしてしまったのと、予想外すぎる待ち人、そして期待を裏切られたことによる衝撃で謙也は崩れ落ちる。

「なんっでやねん! なんでお前やねん! 俺は静ちゃんを待っとったんや!」
「はい、私がなんでしょうか?」
「うおっ!?」

従兄弟である忍足侑士の背中からひょっこりと顔を出した恋人の広瀬静に、謙也は驚きのあまり仰け反る。
毎日メッセージアプリでやり取りはしていたし、通話も時間を見て行ってはいたが、実際に顔を合わせるのは秋休みから数えておよそ三か月ぶりで。静の変わらぬ可愛さに謙也はすぐさま立ち上がり笑顔を作る。

「久しぶりやなぁ! 静ちゃん」
「はい、お久しぶりです。謙也さん」

謙也の笑みにつられるように静も花のような笑みで返す。間に挟まれた侑士は謙也と静の微笑ましくも初々しい会話に一人にこやかに耳を澄ませる。その様子を周囲の人間は不思議なものを見るような目で見ているが、やはりとも言うべきか、当の本人たちは気付かない。

「新幹線ずっと座っとって疲れたやろ!」
「せやなぁ」
「侑士に訊いとらんわ!」
「私は大丈夫ですよ。二時間半くらいでしたし」

言葉通り、静の表情には疲れなど見て取れない。けれど疲労というのは徐々に、そして本人の知らないところで溜まっていくもの。普段電車通学をしているとはいえ、流石に二時間半も座りっぱなしというのは後々疲れが出てもおかしくはない。そのことを知ってか知らずか、謙也は言葉を続ける。

「二時間半も座りっぱなしやなんて疲れるて。まぁ、深夜バスに比べたら楽なんやろけど」
「そうですね。最初は旅費を浮かせるために深夜バスで行こうと思ってたんですけど、流石に両親と跡部先輩に止められまして」
「そこでさらっと出てくる跡部くんなんなん?」
「せやなぁ。跡部の奴、お嬢さんが深夜バス乗る言うたらヘリ飛ばすなんて言うてたからな。よっぽどお嬢さんのこと気にかけとるんやろな」
「ヘリ!? 相変わらず跡部くんはごっついな。ってちゃうねん! なんで跡部くん、静ちゃんに対してそないに気にかけとるん!?」

謙也のツッコミは尤もである。なにせ自分の彼女に対して両親でもないのに過保護ともいえる気のかけ方をしているのだ。しかもあの跡部景吾が、だ。眉目秀麗、圧倒的なカリスマ性、加えてテニスプレイヤーとしても一流の、あの跡部景吾が、だ。謙也自身、五か月前に実際相対してその凄さ、凄まじさを目の当たりにしている。その跡部が何故静に対してここまで気にかけるのか。もしかして自分から静を取ってしまおうかと目論んでいるのだろうか。否、跡部がそんなことを考えるわけがない。でもじゃあどうして? 一瞬にして謙也の頭の中を駆け巡る思考の波。結局答えは導き出せず、謙也は云々と唸るばかりだ。そんな謙也に侑士が至極簡単な回答を差し出す。

「お嬢さんはな、跡部のお気に入りなんや」
「それ、どういう意味やねん」
「そのまんまや。学園祭で運営委員やってたやろ? その仕事ぶりを評価されて跡部の秘書的なことやっとんのや」
「秘書!? ちゅーか跡部くんは社長かなんかなん!?」

予想外の単語に謙也は目をひん剥き、侑士はそれに対し言及することなく肩を上げるだけに留める。静も特に否定もせずに従兄弟二人の会話に笑みを浮かべるだけだ。

「俺はまだ跡部くんのこと全然わかっとらんかったんやな」
「まあ言うて俺も正直よぉわかっとらんけど」
「跡部先輩のことを一番よくわかってるのはきっと樺地くんですね」
「せやなぁ。樺地しかおらんやろな」
「樺地て、あの跡部くんの後ろに立っとっためっちゃでかい奴か?」
「せやな」
「なんや、ボディーガードかと思っとったわ」
「樺地くんは私と同学年ですよ」
「それ今年一の衝撃やわ!」
「謙也、今年はまだ始まったばっかやで」

侑士の冷静なツッコミを聞き流し、そういえば、と本来なら一番最初に訊くべきことを謙也はここでようやく思い出す。

「そういや、なんで侑士も一緒にこっち来とるん?」
「それ今訊くんか?」
「私がお願いしたんです。一人で新幹線に乗るのが初めてだったのでよくわからなくて……」
「そういうこっちゃ。白石と近況報告せんとアカンかったし丁度エエ思てついてきたんや」
「なんで侑士と白石そない仲良えねん。ちゅーか何の近況報告なん? それメッセアプリじゃアカンかったん?」
「近況報告自体はメッセアプリでも電話でもできるんやけど、まぁ色々とあんねん」

これ以上は詮索するな、と言わんばかりに侑士は会話をバッサリと断ち切る。その代わりに静が肩から下げていた鞄からいくつか包みを取り出し、それらを一緒に持ってきていた紙袋に入れて謙也に差し出す。その行動に謙也が首を傾げていると、静がにこりと笑顔でその正体を明かす。

「謙也さん、どうぞ。お土産とお歳暮とクリスマスとお年賀です」
「いや多い多い多い多い。お土産とクリスマスはわかるんやけどお歳暮とお年賀はきっと俺らの関係性では必要ないもんやよな!? あとお歳暮って遅ない!? もう年明けてもうたけど!?」
「え?」
「そないなことあらへんやろ。お歳暮もお年賀もお世話になった人に贈るもんやし。まぁ謙也の場合もらう側よりも圧倒的に贈る側やけどな。ちなみにその二つをチョイスしたんは俺や」
「お前かい! 静ちゃんをボケ要員にすんなや!」
「ちょっと揶揄っただけやん。あ、俺からはこれや。ハッピバースデー謙也ー」
「フライングすぎやろ! 今一月やぞ! あと無駄にエエ声で歌うなや!」

ついテンションが上がってしまい、謙也は周囲のことなど気にせず大音量でツッコミを入れてしまう。さすがの大声に周りの人々は一瞬驚きはしたものの、だからといって謙也たちに何かを言うでもなく皆聞き流すことを選択する。

「謙也のせいで悪目立ちしたやん」
「侑士が全力でボケるからやろ!」
「別に全力やあらへんのやけど。七十パーセントくらいや」
「微妙にリアルな数値やめぇや!」
「お二人とも、もうちょっと声のボリュームを落とした方がいいと思います」

静の至極まっとうな指摘を従兄弟二人は素直に聞き入れ、何個かボリュームを落とし会話を再開させる。

「ちゅーか立ち話もなんやし、どっか店入ろか」
「あ、俺は白石と待ち合わせしとるからここで一旦別行動や。帰りの新幹線の時間になったら合流するからそれまではデート楽しんでな、お二人さん」

そう言うと、侑士はくるりと踵を返し、目的地へと歩いて行ってしまう。勝手知ったるなんとやら、とでも言うようにその後姿はあっという間に見えなくなってしまう。
残されたのは謙也と静の二人だけ。えーっと、やうーんと、という声が聞こえてきそうなほど二人の表情は分かりやすく困っている。
付き合う前に二度ほど二人で出かけたし、秋休みに謙也が東京へ遊びに来た時は侑士を入れて三人で東京観光をしたものだけれど、付き合い始めてから謙也と静二人だけでどこかへ行く――つまりデートをするのは今回が初めてだった。だから、二人とも困っていた。こういう時、どう切り出したらいいのかも、そしてどんな距離感でいけばいいのかもわかっていないのだから。
どうしようか、と悩むことおよそ一分。沈黙に耐えきれなくなった謙也が静の瞳をまっすぐ見つめる。

「えっと、とりあえず腹減ったやろ? 寒いしなんか温かいもんでも食べよか?」
「はい」

謙也の提案に静は素直に頷く。実を言えば、新幹線を降りてから静はずっと温かいものを欲していた。それは新幹線の内外での気温差が激しかったことが大きな要因であり、体の表面だけではなく、内側から温めたいと思っていたからだ。

「静ちゃん」

名前を呼び、謙也は静へ右手を差し出す。謙也の行動に思考が追い付いていない静は頭の上にクエスチョンマークを浮かべ首を傾げる。その反応を受けて、謙也はほんの少し苦みを混ぜた笑みを作り、その手の意味を言葉にする。

「手、繋ごうや」
「あっ、はい!」

静は差し出された手の意味を知り、慌てて右手を差し出して謙也の手を握る。

「……静ちゃん、なんで握手しとるん?」
「――っ、すみません! 間違えました!」

一人でプチパニックを起こし、顔を真っ赤にして頭を下げる静を見て、謙也の心の内はじんわりと温かくなる。こういう、静の天然ぽいところも可愛い要素の一つである。
改めて手を繋ぎなおし、ようやく二人は出発する。どこへ行こうか、何を食べようかなどと話しながら、行きついた先はおしゃれな喫茶店――ではなく、学生にも優しい値段設定のファミリーレストランだった。というのも、謙也は静の前であるし、気取って、それこそ学生には向かない一度も入ったことのない喫茶店に行こうと考えていた。けれど、静がそれをやんわりと断ったのだ。あまり雰囲気がありすぎても落ち着かない、というのもあるが普段謙也がどんなところに行くのか知りたいというのが大きな理由だった。
静は普段謙也がどんな生活をしているのかあまり知らない。学園祭準備期間中はそれこそ毎日会ってはいたけれど、それはあの会場内という限定的なものでしかない。しかも寝泊りは跡部が用意したホテルを利用していたし、食事は食堂に通い詰めだ。あの期間内、あの会場内での謙也しか静は知らないのだ。だから知りたかった。忍足謙也という恋人のことを。もっと知りたいと思ったのだ。

「静ちゃん、ホンマにここでよかったん?」
「はい。それにこのファミレス、関東には出店してないので一度来てみたかったんです」

メニューを見ながら、謙也と静はそんな会話を交わす。静がそこまで言うのなら、と謙也はそれ以上話を掘り下げることはせず、メニュー選びに専念する。と言っても、謙也は既に食べたいものを決めていたので静の選択待ちなのだが。ペラペラとメニューを捲り、あれにしようこれにしようと考えながら静の眉はいつのまにかハの字になっていた。

「どれもこれも美味しそうで迷っちゃいますね」
「せやなぁ。ちなみにどれで迷っとるん?」
「これとこれで迷ってます」

静の白く細い指が二つのメニューを指差す。それを見て謙也はふむ、と一人頷く。

「ほんなら俺がこっち頼むから半分こしよか」
「えっ、でも謙也さんだって食べたいものあるんじゃないんですか?」
「俺はいつでも来れるしな。静ちゃんが食べたいと思うもんを食べたらエエよ」

な? そうしよ、と笑みを向ければ静は戸惑いつつもわかりました、と浅く頷く。

「ほんなら、これとこれと、あとドリンクバー付けよか。あとなんか食べたいもんある?」
「食べきれるかどうかわからないのでとりあえず大丈夫です」
「ん。ほな店員さん呼ぶで」

言うと同時に謙也の指はベルへと伸びる。電子音が店内に響くと、間もなく店員がやってくる。流れるように注文をこなし、メニューを端に寄せると謙也と静の視線が上がる。

「飲み物取ってきますけど、謙也さんは何がいいですか?」
「飲むもん取ってくるけど、静ちゃんは何がエエ?」

同時に同じことを訊き、二人して首を傾げる。その仕草がおかしくて、どちらともなく笑みが漏れる。そしてそんな微笑ましい二人を見て、周りの客は胸を温めるのであった。

「俺が取ってくるから静ちゃんは座っとって」
「でも、」

先輩である謙也に取りに行かせるなど、と静が席を立とうとすれば謙也がその両肩を優しく制する。

「長旅で疲れとるんやから遠慮せんで。それに言うてみれば静ちゃんはお客さんやん。ここは俺が行くんが道理や」

諭すように、そう言葉をかければ静からは再びわかりました、と小さな了承が返ってくる。それを確認した後、謙也は静の要望を聞き、ドリンクバーコーナーで自分の飲み物をグラスに入れ、ポットに紅茶の茶葉と湯を入れ、カップと共に手に持ち戻る。静の前にポットとカップを置き、自分の前にも同様にグラスを置き着席する。

「静ちゃんとこうしてゆっくり話すんも久しぶりやなぁ」
「電話はしてましたけどお顔を見てお話しするのは本当に久しぶりですね」
「前ん時は侑士も居ったしな。……ん? ちゅーことはちゃんと二人でデートするんは去年の夏以来か」
「そうですね…………――っ!」

デートという単語に静の頬は爆発したかのように真っ赤に染まる。あわあわとわかりやすく慌てる静に謙也はにっこりと笑みを浮かべ、愛おしいものを見るかのように優しい視線を向ける。可愛くて愛おしくて、大事な彼女。恋愛面において初心すぎるという点も愛らしい。

「静ちゃん、顔真っ赤やなぁ」
「言わないでください……っ!」
「ほら、苦なってまうで」

言いながら謙也は静の目の前に置いたポットを傾けて、飲み頃になった紅茶をカップへ注いでいく。トポポ、とカップが満たされると紅茶のいい香りが鼻を擽る。うぅ、と小さく唸りを上げて静はカップに口をつける。

「謙也さんはなんだか余裕ですね……」
「そう見えるんなら静ちゃんもまだまだやな」
「?」

謙也の独り言にも似たそれは小さすぎて静の耳には届かない。何て言ったんですか、と静が問う前に店員が料理を両手にやってくる。

「お待たせいたしました」
「あ、はい」

謙也と静の前に頼んでいた料理が置かれ、気を利かせてくれたのかそれとも注文前の謙也と静の会話を聞いていたのか、取り皿も二枚置くと、店員は一礼して去っていく。

「ほな、冷めんうちに食べよか」
「はい」

取り皿に分け、それを交換してから二人仲良くそして行儀よく両手を合わせ食事を始める。

「いっただきます!」
「いただきます」

それはお互いの家の習慣なのか、それともそう躾けられているのか、二人とも食事中の口数は少なく、食べることに集中している。さらに謙也に至ってはいただきますと手を合わせてからものの数分で皿を空にしてしまっている。それは謙也の性分でもあるし、うっかりいつもの――四天宝寺の面々と一緒に食事をしているペースで食べてしまったというのもある。そして、失敗してしまったことに気付くのであった。なにせ、今目の前にいるのは恋人である静で、彼女は比較的ゆっくり食事をするタイプだ。といってもそれは謙也から見たゆっくり、であって決して静の食事スピードが遅いというわけではない。

「食べるの遅くてすみません……」

静から聞こえる謝罪に、謙也は「気にせんでエエよ」と返したが、本来ならば謝るべきは尋常ではない速さで食事を終えてしまった自分であるという思いが沸々と湧き上がってくる。けれど妙に間が空いてしまった為に続ける言葉が見つからない。結局、静が食事を終えるまで謙也は口を引き結ぶだけに留めた。

「美味かった?」

皿を空にし、冷めてしまった紅茶に口をつける静に謙也はそう問う。

「はい。とっても美味しかったです」

静の満面の笑みに謙也は安堵の笑みをこぼす。
実を言えば不安がなかったわけでもないのだ。謙也は静の料理の腕を知っている。料理上手な彼女の口に、果たして自分がいつも部活の仲間と行くようなファミリーレストランの味が合うのか、わからなかった。だから、静の口から美味しかったという感想が聞けたことで謙也は心の底から安堵した。気を遣ったとも考えられるが、表情や態度を鑑みるにそれも可能性としては低い。

「紅茶冷めてもうたな。新しいの取ってくるわ」

言いながら既に席を立った謙也は真っ直ぐドリンクバーコーナーへ向かう。先程とは違う茶葉をポットに入れ、湯を注ぐとカップを一つ手に取り戻る。

「ありがとうございます」
「ん。エエよ」

静のカップに紅茶を注ぎ、少しだけ余ったそれを持ってきたカップにも注ぐ。

「謙也さんも紅茶好きなんですか?」
「んー、好きか嫌いなら好きって感じやな。今日は静ちゃんと同じもんが飲みたい気分なんや」
「そうなんですね。ふふ、嬉しいです」

可愛らしい笑みを浮かべ、静は湯気のたつカップに口をつける。最初に飲んだものとは違う、甘いりんごの香りがする紅茶は食後に飲むにはぴったりだった。

一体どのくらいの時間が経ったのだろうか。話に花が咲いて、という言葉通り謙也と静は時間を忘れて話していた。そして何回謙也がドリンクバーコーナーに向かったのかも覚えていない。
楽しくて、嬉しくて、侑士からの連絡がなければ危うく静は大阪に一泊するかもしれない可能性まであったくらいだ。
侑士との待ち合わせ場所で道すがら寄った土産物屋の袋を見ながら、謙也は静に疑問を投げる。

「土産、そんなもんでエエの?」

というのも、謙也は静の交友関係をよく把握していない。クラスメイトに配るには少ない量であるし、両親に渡すにしては多い量なのだ。

「はい。両親と跡部先輩と向日先輩の分だけあれば」
「両親と跡部くんはわかるんやけどなんで向日?」
「大阪に行くって言ったらお土産よろしくって言われたので」
「情報漏れは侑士からか……」
「俺がなんやて?」
「うぉっ!? いきなり後ろから来んなや!」

ぬっと現れた従兄に謙也は本気で驚く。そして謙也の声に静も驚く。

「ちなみに今の話やけど、俺やないで。普通に岳人もその場に居っただけや。まぁ、それはどうでもエエねんけど、お嬢さん、心残りはないか?」
「はい。ファミレスでたくさんお話しさせてもらったので大丈夫です」
「……ファミレスで話しただけなん?」
「え? はい。そうですけど」

静の嘘偽りのない視線と言葉に、侑士は一つ大きくため息を吐き出す。

「謙也、後で俺と白石の説教が待っとるから覚悟せぇよ」
「なんでやねん!?」

謙也の渾身のツッコミに背を向け、侑士は静を連れて改札口へ向かう。流れについていけない静はなされるがまま歩いていくが、ふと立ち止まり侑士へ視線を向ける。

「あの、忍足先輩」
「俺は先改札入っとるから時間までに来ればエエよ」
「ありがとうございます」

言葉を交わさずとも言いたいことは分かったのか、侑士は、ほなと改札を抜けて行く。その背に踵を返し、静は謙也のもとへ駆けていく。

「謙也さん、今日はとっても楽しかったです。今度は春休みに来ますね!」
「あ、いや今度は俺がそっち行くわ」
「でも、謙也さん春休みは高校の入学準備とかでお忙しいんじゃ……」
「そらまぁ……でも、静ちゃんに高校の制服見てもらいたいっちゅーんもあるし、今回は静ちゃんがこっち来てくれたやん。順番的に次は俺やろ」

にこり、と優しく笑う謙也に静は小さな了承しか口にできない。制服を見てもらいたいなんて言われてしまってはそれ以上自分が行くとはなかなか言えない。

「そろそろ新幹線来てまうな」
「そう、ですね……」

電光掲示板とその隣にある時計を見ながら謙也はとても残念そうな表情で零す。静もその視線を追って時計を見やり、そして眉を下げる。あと十分もしないうちに新幹線がホームに入ってきてしまう。
悲しい。寂しい。叶うならば。
そう、叶うのであれば――

「ホンマは帰ってほしくないんやけど」
「――、え?」

咄嗟のことに静の体は反応できなかった。気付いた時には謙也の腕の中に閉じ込められていた。

「またな、静ちゃん」

耳元で、いつもよりも少しだけ低い声で、謙也は別れの言葉を口にする。

「――っ!」

満足そうに謙也は笑い、静を解放する。

「侑士が待っとるで」

静の体を反転させ、背中を両手で軽く押す。それがもう振り返るなという謙也の言葉なき意思表示だと理解した静はそのまま改札へ向かって歩き出す。
切符を入れ、侑士が待っている新幹線コンコースまで一直線に向かう。

「お……っ、お待たせ、しました」

静の姿を見とめ、侑士は顔を綻ばせる。二人一緒にホームへ上がると、程なくして新幹線が滑り込んでくる。
運ばれてきた風が侑士と静の髪を揺らす。侑士がちらりと静へ視線を向けるとその頬は未だに赤みを帯びていて。

「ホンマ、最後の最後でよぉやったわ」

侑士の独り言は勿論誰にも拾われることなく、風に攫われていった。

==========
広瀬静受けアンソロジー「冬ひなたの恋栞」様に提出しようと思ってページ数の都合でやめたもの