カケラを探して3


パーカー着用は絶対
「侑士先輩! これとかどうでしょうか?」
ついてきたのは自分の意志だけれど、だけどやっぱり若干目のやり場に困って下げていた視線を上げて、声の主である静を視界に収める。その手には桜色のワンピースタイプの水着があった。ちょっと、いやかなり背中が開くデザインだけれどもそこに目を瞑れば、前面だけを見れば静らしいデザインであるし何より着用する本人が選んだものなのだからこれ以上俺が注文をつけることは難しい。
「エエんやない? 可愛えし、なによりお前らしいわ」
「本当ですか! それじゃあこれにします!」
そう言って、静は手にしていたそれを意気揚々とレジに持っていく。
何故、俺と静が水着販売コーナーに来ているのかというと、それは一時間前のこと。
放課後、急遽部活が休みとなった俺は静と一緒に帰るべく中等部の校舎へと向かった。といっても、すでに静は校門の前で待っていたので正確には校門まで、なのだが。
高等部に上がり、以前よりも格段に静に会うことが難しくなった今、限られたチャンスは無駄にしないようにしようと自分のキャラでもないのにあれやこれやと話題を展開させていく。それこそ今日あったこと、最近の部活の様子や近況など思いつく限り何でも話題に上げる。
こういうんは岳人とか謙也の得意分野なんやけど、まぁしゃあないか……。
心の内で苦笑しつつ、話題は今夏の予定へと移る。当然、テニス部の活動があるから夏休みもあってないようなものだけれど、それでも一週間に一度くらいは完全なオフ日があったはずだし、練習も午前中だけ、もしくは午後だけというスケジュールの組まれ方をしていたから、静と過ごす時間も作れなくはない。せっかくの夏休みなのだし、静が望むのであれば可能な限り出かけたいし、この季節にしか出来ないこと――海水浴やプールに行くことなども吝かではない。その意思を静に伝えると、彼女から返ってきたのは眩しいくらいの同調だった。
ふと、脳裏に過る可能性。もしかして、いや、まさか。そんなことを思いつつも、一応の確認も込めてそういえば、と考えを口にする。
「静って水着持っとるん?」
「はい、持ってますよ。スクール水着ですけど」
「……ん? お前水着持っとらんの?」
「いえ、だから持ってますよ?」
「いや、スクール水着は水着にカウントせぇへんやろ」
俺のツッコミに静はそれはそれは大きく首を傾げる。何を言っているのかわからないとその表情が物語っている。
いや、その表情は俺がしたいところやねんけど。
そんな俺の心中など知りもしない静は未だに表情を崩さない。ため息を吐き出したいのをなんとか抑えて、どう言ったらいいものか悩む。下手なことを言えば怪訝な顔をされてしまいそうだし、だからといってじゃあスクール水着で海水浴やプールに行けるかと言われれば答えはノーしかない。そりゃあ、スクール水着だって立派な水着であることは認める。けれどそれは学内だけの話であって、学外に出れば途端にそれは特異な目で見られる対象になる。……気がする。少なくとも俺は驚くし、正直言ってしまえばとても複雑な気持ちになるし、何より静には可愛い水着を着てほしい。さすがにスクール水着は地味にも程がある上に思春期真っ盛りな男には色々な意味で目に毒だ。
「ともかく、これから水着買いに行くで」
「え?」
俺の提案が余程予想外のことだったのか、静は酷く驚いた表情を作って応える。
「でもまだ着れますし……」
「着れる着れないやないねん。俺が買うたるからスクール水着は卒業しぃや」
「どうしてですか?」
それを俺の口から言わせるんか……。
静の目の前でなければ盛大にため息を吐き出しているところだ。理由を求める静の視線は逸らされることなくじっと、まっすぐ、俺に向けられたままで、話を逸らせる雰囲気ではない。けれど馬鹿正直に思っていること、考えていることを口にしたところで最悪の場合待っているのは静からの白い目だ。――いや、静はそんなことはしないと思いたいけれど。
どうしたもんか、と考えてとりあえず無難な言い分を口にしてみる。
「静にはスクール水着やのうてもっと可愛え水着を着てほしいんや」
数ある思いの中からこれなら、と思うものを選んでみたところ静の表情は納得したものへと変わる。
「そ、そういうことでしたら……。あ、でも買っていただかなくて大丈夫です。それくらいは自分で買います」
「さっきまで全然乗り気やなかったんやから無理せんでエエよ」
「でも私が着るものですし」
「たまにはプレゼントさせてや」
「たまにはと言いながら侑士先輩はいつもプレゼントしてくれるじゃないですか」
「彼女にプレゼントしたいっちゅうんは普通やろ?」
「頻度がおかしいです」
侑士先輩は貢ぎ癖があるんですか? なんて言われてしまえば返す言葉もない。確かに、静には色々とプレゼントしているし、何かにつけて俺の財布から金を出している。そのたびに静からは次は自分が出すと言われているし、時には怒られたりすることもある。だけど男なのだから見栄くらい張らせてほしいし、小遣いの全てを注ぎ込んでいるわけではないのだからと言っても、いつも静は頬を膨らませる。
まあ、そういうところも可愛いのだけれどそれを口にすることは何故か羞恥心が勝ってしまって言うことができない。
絶対に譲らない、と強い意志を見せる視線に仕方なし、と一つ息を吐き出す。
「わかったわ……。今回は引いたる」
「はい!」
根気勝ちしたことが嬉しかったのか、静はそれはそれは嬉しそうに笑みを浮かべる。普通はプレゼントするって言ったら喜びそうなものなのに、ホンマ俺の彼女はおもろいわ。
まぁ、次は譲らへんのやけど。
心の内でそう固く決心をして、俺と静は駅前の商業施設へと向かい、そして冒頭のやり取りである。
会計を終え、ショッピングバッグを手に駆けてくる静。走らんでエエよ、と声を掛けてみるものの、それを言い終わるころには俺の目の前に到着していた。
「侑士先輩、お待たせしました」
「エエの買えてよかったなぁ」
「はい!」
よっぽど気に入ったのか、嬉しそうにバッグに視線を落とし、静はふふ、と小さく笑う。プレゼントできなかったのは残念ではあったけれど、まあ今回は良しとしよう。それによく考えてみれば、水着を贈るというのもなかなかに極まっている気がしないでもない。仮に俺からのプレゼントとしていたならば、静のことだから自分の好み以前に金額を気にしてしまいそうだし、遠慮だってするだろう。それならば、自分で好きなものを買ってもらった方が絶対いいに決まっている。
「侑士先輩は今年の夏も部活でお忙しいですよね」
「ん? まあ、せやなぁ。やけどさっきも言うたけど、静が行きたい言うなら海水浴でもプールでも好きなだけ行こうや。そのために水着買うてもろたんやし」
俺の返答に静は破顔で返す。太陽のように眩しいそれは俺の心を十二分にくらくらとさせる。どこに行こうか、いつ行こうか、などと未来の楽しいことを話しながら帰る道は全然暑さを感じなかった。


長くもなく、短くもなく
「なぁ、静。今週の金曜に家に来ぇへん?」
それは突然のお誘いだった。
一瞬にして頭が真っ白になって、侑士先輩の言葉を上手く咀嚼できない。簡単に言うと、頭がショートしてしまった。
えっと……、いま、侑士先輩、なんて……? お家に遊びに来ないかって言った? さっきまで福袋の話とかをしていたはずなのに、どうしていきなりお家にお呼ばれする流れになったのだろう?
疑問ばかりが、否、疑問しか出てこない。頭の上にクエスチョンマークをたくさん浮かべて呆ける私に、侑士先輩は何かを悟ったのか、ああ、と小さく呟く。
「すまんな、言葉が足りひんかったわ。福袋の話したろ?」
「はい」
「そんで、姉貴が着れん服があるから静にあげたい言うてな。流石に学校に持ってくるんはちょっとアレやから……」
「それでお呼ばれされたんですか」
「せや。別に趣味やないっちゅうならそれはそれで別にエエ言うてたし、見るだけ見に来ぃひん?」
「そういうお話でしたら、はい。喜んで」
にこりと笑むと、侑士先輩はほっとしたような表情を作る。
「ほんなら、金曜の放課後教室まで迎えに行くわ」
「え? でもお手間じゃないですか」
「エエから。俺が迎えに行きたいんやから待っとって」
「……わかりました」
「ん。エエ子や」
侑士先輩の大きな手が私の頭をふわふわと優しく撫でる。なんだか小さい子のような扱いをされている気がしなくもないけれど、こうして頭を撫でられることは嫌いではなくて。むしろ中学生にもなってこんなことをされるなんて滅多にないものだから自然と私の頬も緩んでしまうのだった。

それから、時間はあっという間に過ぎていって、約束していた金曜日の放課後。
「静!」
帰り支度を終え、クラスメイトが誰もいなくなった教室で、自分の椅子に座りながらぼーっとしていた私の耳に色めいた声が聞こえる。ゆっくり呼ばれた方向へ首を傾けると、何故か息を荒げている侑士先輩の姿が目に飛び込んでくる。席を立ち、慌てて駆ける。
「侑士先輩、大丈夫ですか?」
「ああ、いや……俺は大丈夫やねんけど……。遅れてすまん」
「いえ、大丈夫ですよ。事前に連絡いただいてましたし、そんなに待ってませんよ」
本心からの言葉を口にすれば、侑士先輩からはそれでも申し訳なさからなのか、微妙な表情が返ってくる。気にしなくていいですよ、と笑えばようやくいつもの表情に戻る。
「荷物取ってきますね」
そう言って侑士先輩に背を向けて、急いで鞄と椅子に掛けていたコートを手にして戻る。
「お待たせしました」
「ん。帰ろか」
侑士先輩の左手が私に伸びる。その手を右手で取って笑みを作れば侑士先輩からも緩やかな笑みが見られる。優しくて、温かくて、私は侑士先輩が時折見せてくれるこの笑みがとても好きだ。
一度この気持ちを口にしてみたら侑士先輩からは面映ゆそうな表情で「あんま言わんといて」と蚊の鳴くような声が返ってきた。こんなにも素敵なのにどうしてだろう、と思っていたら、予想外のところから解答が飛んできた。
「侑士って普段ポーカーフェイスだからゆるっゆるの笑顔見られて恥ずかしかったんじゃね?」
向日先輩の一撃は確かに侑士先輩の本心を捉えていたようで、その後の侑士先輩は何とも締まらないといった表情で向日先輩のことを怒っていた。
「せや、静。今日夕飯食べてきや」
ちょっと前の出来事を思い返していた私に、侑士先輩はそういえば、と言ったふうに提案をしてくる。けれど、流石にそこまでお世話になるわけには、と首を横に振れば侑士先輩は少し困った顔をして言葉を探す。なんだろう、と次の言葉を待っていると数分して漸く侑士先輩の口が開く。
「今日静が来るてオカンに言うたらめっちゃ張り切って夕飯作ってるらしくてな……。オカンの話やとそれこそ満漢全席かってくらいの品数が並ぶ言うてたわ」
「それは……すごいですね……」
「まあ、静にもあと静の家にも都合があるやろし無理にとは言わんけど」
「そうですね……一度家に確認してもいいですか?」
「ん、エエよ」
侑士先輩の了承を聞いてから、私は基準服のポケットからスマートフォンを取り出してアドレス帳から自宅の電話番号を呼び出す。画面をタップして、数コールの後お母さんの声が受話口から聞こえる。
「もしもし? 静、どうかしたの?」
「あ、えっと……今日の晩御飯なんだけど」
「忍足くんのお家でご馳走になるんでしょ?」
「え? なんで知ってるの?」
当の私ですら今聞いた話だというのに、なんでお母さんが侑士先輩のお家で夕飯をご馳走になることを知っているのか本気でわからなくて、電話越しだというのに首を傾げてしまう。そしてそんな私の様子を、侑士先輩も不思議そうな表情を作って見つめている。
「なんでってさっき忍足くんのお母さんから電話があったのよ。今日夕飯ご馳走してもいいですか? って」
「そうなの?」
「それに今日は急にお父さんが仕事休みになったからたまには外食しようかって話になってて買い物とか行ってないのよ。忍足くんのお家は大歓迎だって仰ってたからご厚意に甘えてきなさい」
「そういうことなら、わかったよ」
「その代わり、今度はうちに忍足くんを招待しなさいね。美味しいものたくさん作るから。あ、忍足くんの好みとかアレルギーとか訊いといてね」
「はぁい」
気の抜けた返事をして、終話ボタンをタップする。事の成り行きを見守っていた侑士先輩は私の表情を見てなんとなく結果がわかったのか、なんだかどう表現したらいいのかわからない表情をしている。
「お待たせしました。大丈夫です」
「なんとなくそうやろなと思とったわ。たぶんうちのオカンやろ?」
「そうですね。侑士先輩のお母さんから連絡があったって言ってました」
「マジか……。うちのオカンがすまんな」
「いえ、大丈夫です。それにお母さんに話がいっているなら説明しなくてもいいですし」
「そう言ってもらえてよかったわ」
安堵なのか、それとも自分のお母さんに対するものなのか、侑士先輩は大袈裟ともいえるくらい大きなため息を吐き出す。
「ふふ、侑士先輩のお母さんのお料理楽しみです」
「めっちゃ腹空かせとかんとな……」
そう言う侑士先輩の目はどこか遠くを見ているようで。だけど私にはその意味がよくわからなくて。というよりも、侑士先輩の口にした満漢全席という単語も冗談だと思っていた。
「静。無理せんでエエからな」
だから侑士先輩の零したそれも、特に深刻に考えることなく、いつものように、はいと頷く。
持っていたスマートフォンを基準服のポケットに戻し、いつの間にか着いていた昇降口で上履きから靴へと履き替える。視線を上げると、すでに侑士先輩の姿は昇降口から出ていて、慌てて追いかける。
「急がんでもエエのに」
「いえ、でもお待たせするわけにはいかないです」
「こんなん待つなんて言わんよ」
またしても侑士先輩の左手が私に伸びる。その手を取って笑みを作るとやっぱりというか、侑士先輩から返ってくるのは緩やかな笑み。その素敵な笑みに見惚れていると、いつか見せてくれた面映ゆい表情にいつの間にか変わっていて。
「静……、あんま見つめられると恥ずかしいんやけど」
「あ、すみません……」
「いや、うん、まあ、エエねんけど……」
「いえ、あんまり男の人を見つめるものじゃなかったですね、すみません」
「ちゅうかよぉ考えてみればこんな見つめられんのも静くらいやしな。慣れんといかんのかもしれんし。やから静が謝ることなんてないわ」
まぁ、慣れるまで時間かかるからそこは堪忍な。
そう言って、侑士先輩は繋いだ手を引いて歩き出す。横顔をちらりと窺えば、嬉しそうで、恥ずかしそうで。また新しい表情を見られたことに私の口元は緩んだのだった。

いらっしゃいからのファッションショー開催は本当にあっという間で。それこそお邪魔します、と頭を下げる間もなく玄関で待ち構えていた侑士先輩のお姉さんに手を引かれ家の中に引き込まれてしまう。背中に侑士先輩の制止する声がぶつかるけれど、流石にお姉さんの手を振り払うことなんてできるはずもなく、結局私はなす術もないままお姉さんの自室へと迎えられる。
「いらっしゃい、静ちゃん! さ! ファッションショーの始まりやで! あ、カバンとコートはそこらへんに置いといてエエよ」
それはそれはとても楽しそうに、お姉さんは予めベッドの上に広げてあった洋服を手に取って私に合わせてくる。さすが福袋というだけあって、その種類は多岐に渡っていた。もしかしたら何個も買ってその結果なのかもしれないけれど、そこは私の与り知らぬところだし、わざわざ訊くことでもないかなと心の奥底にしまっておくことにする。
「うん、やっぱ私の見立て通りやったわ! 静ちゃんお人形さんみたいに可愛えから何でも似合うやないの!」
「えっ、あっ、そんなことはないと思いますけど……」
「いやいや、静ちゃん自分の可愛さにもっと自信持った方がエエて。なぁ、侑ちゃん? そこに居るんやろ?」
お姉さんの視線は開けられたままの自室のドアへ向けられる。私もそれに倣って視線を向ければ、マグカップを二つ乗せたお盆を手に持ち、微妙な顔つきの侑士先輩の姿があった。どうしてそんな表情をしているのかわからない私は首を傾げるばかりだけれど、お姉さんは理由を察しているらしく笑みを崩さない。
「姉貴……。ファッションショーするんはエエけどドアくらい閉めろや」
「閉めてもエエの? 侑ちゃんやって混ざりたいんやろ?」
「えっ」
私の驚きを余所に、侑士先輩は一度口を引き結んだ後眉間に皺を寄せる。
「混ざらんわ。ちゅうか混ざれるわけないやろ」
「なんで?」
「そこで訊き返す神経が意味わからんわ」
大きく。それは大きく侑士先輩はため息を吐き出して、部屋の真ん中にある小さな丸テーブルにお盆を置くと、そそくさと踵を返してしまう。その背中にお姉さんが言葉を投げかけるけれど、一切無視して侑士先輩は後ろ手でドアを閉めて部屋から出て行ってしまう。
「ホンマ侑ちゃんったら揶揄い甲斐があるわ」
「揶揄ってたんですか?」
「ん? まあ半分やね。もう半分は本気やったんやけどなぁ」
ふふ、と笑うお姉さんのまっすぐ向けられた瞳はその発言に信憑性を持たせていた。侑士先輩ならきっと断ってくれるだろうと思っていたけれど、もし同席されていたらと思うと恥ずかしさで爆発していたかもしれない。
「さ、続き続き! ほな、静ちゃんまずこれな!」
そう言って、お姉さんは持っていた洋服を私に差し出してくる。受け取って、呆ける私に「着てみて」とにこやかな笑みが向けられる。
薄々そんな気はしていたけれど、やっぱりここで着替えなくちゃだめかぁ……。
お姉さんの表情からしてどんなに言葉を重ねたところで結局辿る道筋は同じような気がした。それなら、もう最初から仕方ないと着替えてしまった方がいいのかもしれない。
わかりました、とお姉さんに背を向けてブラウスのボタンに手を掛ける。背中に視線が刺さっている気がするけれど、気にしないようにして渡された洋服に袖を通す。着替えを終えてくるりと体を反転させるとお姉さんの満面の笑みが視界に飛び込んでくる。
「やーめっちゃ可愛えやん! 写真撮ってエエ?」
「えっ、あ、はい」
「おおきに!」
言うや否や、お姉さんはスマートフォンを手にして何度もシャッターを切る。自分では買わないような洋服を着ていることと写真を撮られていることもあって、私の表情はとても硬い。それは自分でも認識していることなのだから、きっと画面越しのお姉さんにもそのことは分かってしまっている。けれど、それに構わずお姉さんはにこにことそれこそ覚えている限りでも十回はシャッターを切っている。
「それじゃ次はこれや!」
やっと満足した写真が撮れたのか、お姉さんはベッドの上にあった別の洋服を手にし、私に渡してくる。
ああ、もしかしなくてもその洋服全部着て写真を撮られるのかな……。
思った通り、お姉さんはそれから何十回とシャッターを切っては新しい洋服を手に取り、私が部屋を出られたのはそれから二時間後のことだった。

満漢全席。
これは……確かにその表現が正しいのかもしれない。
侑士先輩に呼ばれ、リビングに入った私が見たものはテーブルいっぱいの料理だった。サラダに汁物、肉料理に魚料理、小鉢にお漬物。いったい何人前なのだろう、というくらい、というかテーブルが見えないくらいのお皿の数に驚いて固まる私に、侑士先輩は下校中に呟いたことをもう一度私に向けて零す。
「静。無理せんでエエからな。ちゅうか絶対完食しよなんて思わんといてな。物理的に無理やから」
侑士先輩のどこか疲れたような表情に、わかりましたとしか返すことができない。椅子を引かれ、座るように導かれる。全員が着席したところで、各々が好きなタイミングでいただきますと手を合わせ食事を始める。私もそれに倣い手を合わせ、たくさん並ぶお皿に向けて軽く頭を下げてからお箸を手に取る。小皿に少しずつ料理を取ってそれをまたお箸で切り分けて口に運ぶ。
「美味しい」
幸せの味ってこういうのを言うのかもしれない。
ぼそりと零した独り言のような感想に、忍足家全員から視線が集まる。四人から熱烈な視線を向けられて、途端に私の頬は熱を持つ。
「えっ、あ、その……」
「静ちゃんに褒めてもらえるなんて嬉しいわぁ」
侑士先輩のお母さんが本当に嬉しそうに頬を綻ばせて笑い、それに続くかたちでお父さん、お姉さん、そして侑士先輩が次々に笑みを見せる。
「いえ、そんな……私はまだまだです」
「静が料理上手なん、オカンも知っとるからな。そんな静に褒められたらそら嬉しいやろ」
やから素直に受け取っとき。な?
侑士先輩が小さな声でそう囁く。それに同じく小さな声ではい、と返して止めていたお箸を動かす。
いつも両親としか食事をしないからか、人数が二人増えただけでも賑やかだと感じてしまうし、だからといってそれが嫌だとも思わない。色々な方向から聞こえる声に囲まれて食事をすることがこんなにも楽しいものだとは知らなかった。美味しい料理と楽しい食卓にいつの間にか私の口角は上がっていた。
「ごちそうさまでした」
両手を合わせて空になった数多のお皿に頭を下げる。隣では侑士先輩が「絶対完食なんて無理や思とったのに……」なんて驚いている。確かに最初見た時はかなりの品数だったし、侑士先輩からは絶対無理するなと言われていたけれど蓋を開けてみれば完食してしまった。侑士先輩のお母さんのお料理が美味しくてお箸が止まらなかったというのもあるし、賑やかな食卓に気分が高揚していたというのもある。決して自分の家のご飯が美味しくないとか食事の時間が楽しくないというわけではないのだけれど。
席を立って食器をシンクに運ぼうとすれば、侑士先輩から全力でストップがかかってしまう。
「アカン。絶対アカン。俺が後でどやされるから静は座ってればエエ」
「でも、」
「お願いやから」
諭すように。ともすれば必死なお願いにも見えなくもないその態度と言葉に私は、はいと言わざるを得ない。渋々と椅子に座りなおせば、侑士先輩からはそのままでエエからと安心したような声が返ってくる。
食後のお茶まで出してもらい、申し訳なさで表情が落ち込む私に、お姉さんがそういえば、と人差し指を立てて問うてくる。
「静ちゃん、さっき着た服どうやった?」
「え? あ、はい。どれも素敵でした」
「ホンマ? ほんなら全部もらってくれへん?」
「いいんですか? だって結構な量ありましたし」
「エエよ。趣味やない服着るんもアレやし、静ちゃんが気に入って着てくれるんやったらその方が服も嬉しいやろ。ちゅうわけやから侑ちゃん、帰り送ってくついでに持ってってや」
「拒否権ないんやろ」
「せやな」
「いえ、自分で持って帰りますので!」
流石に侑士先輩に持たせるわけにはいかないと胸の前で両手を振れば、お姉さんからはエエから、と窘められる。よくないです、と反論してみるも侑士先輩とお姉さんとの間ではもう話は固まってしまったらしく、今度は二人から窘められる羽目になってしまう。
結局大きな紙袋二つ分の洋服を頂いたばかりか、侑士先輩に荷物持ちをさせてしまうという状況に、私の気持ちは大きく沈む。侑士先輩のお宅を出て、すっかり暗くそして寒くなった帰り道を、侑士先輩と並んで歩く。
「すみません……」
「気にせんでエエよ」
「でも……」
「手を繋げんのは惜しいけど、これならいつも分かれるとこやのうて静の家まで一緒に行けるしむしろラッキーやろ。高校に上がったらこうして一緒に帰るっちゅうんも難しくなるやろしなぁ。やから姉貴には感謝せんとアカンのかもしれん」
まぁ、せんけどな。
はは、と笑って侑士先輩は優しい笑みを向ける。
ああ、そっか……。あと三か月もしないうちに侑士先輩は高校に上がってしまってこうして一緒に帰ることも少なくなってしまうんだ……。
侑士先輩に言われて初めて気付いた、その確固たる事実。同じ氷帝学園とはいえ、中等部と高等部は校舎が違う。それに侑士先輩はきっと高校に上がってもテニスを続けるのだろうし、そうなれば今まで以上に会うことが難しくなってしまう。
途端にこみ上げる名状しがたい感情に、視界が大きく揺れて――
「静」
「……え?」
侑士先輩の骨ばった人差し指が頬を撫で、熱いそれを掬い取る。ぽろぽろと両の目から溢れるように流れるそれが涙だと気づくころには私の体は侑士先輩の腕の中に収まっていた。
「一年。たった一年や」
「……っ、は、ぃ」
「一年経てばまたおんなし校舎や。そしたらできる限り会いに行くから。やから泣かんといて。俺、静の涙にめっちゃ弱いねん」
「うぅ……、はい……」
涙でぐずぐずになってしまった顔面を手のひらで擦って、無理やり笑顔を作る。
きっと今の私はとてもじゃないけれど見られた顔をしていないんだろうな、と思うけれど。だけど、だけど――。
「エエ子や」
誉め言葉と一緒に唇に触れる温かくて艶やかな感触。一瞬過ぎて、瞬きの間に終わってしまったそれは初めての感触で。頭が何をされたのか理解するのに数秒かかってしまう。
「ゆ……、侑士、先ぱ……」
「ホンマはもっとムードとか大事にしたかったんやけど……、その……」
バツが悪そうに侑士先輩は視線を右へ左へ泳がせる。その様子がいつの間にか私の表情を緩ませていく。
「ありがとうございます、侑士先輩」
「感謝されるようなことなんてしとらんと思うけど?」
「いいえ、おかげさまで悲しくなくなりました」
「キス一回だけで?」
「それにこうして抱きしめてくれてます」
柔く笑うと、侑士先輩からも優しい笑みが返ってくる。
「静」
「はい」
「もう一回キスしてエエ?」
「はい」
今度はちゃんと宣言があったため、気持ちの準備もできた。そっと瞼を閉ざせば唇に触れるのは柔らかな感触。一度目よりも少しだけ長い間続いたそれは、実際には短いのだろうけれど体感的にはとても長く感じられて。離された唇はどこか名残惜しくて。ゆっくりと瞼を開けると、今まで見たことがないくらい頬を赤く染めた侑士先輩の顔が飛び込んでくる。
「なんや、やっぱ緊張すんなぁ」
「ふふ、そうですね」
「随分余裕やん」
「そんなことはありませんよ」
解放された体。また先ほどと同じように並んで、止めていた足を動かしていく。ずっと。ずっとこの時間が続いていけばいいのに――と思いながら。私と侑士先輩は長くも短くもない道のりをゆっくり歩いていくのだった。


ラブレター職人
春を迎え学年が一つ上がってしばらく経った頃。暖かな日差しと開け放たれた窓から入る爽やかな風を感じながらお弁当を机の上に出していたらクラスメイトがお弁当を持ってやってくる。クラス替えで初めて一緒のクラスになったその子と昼休みを過ごすのが最近の私の日課になっている。この子も私もクラスの中では少数派のお弁当持参派なので、仲良くなるのもこうして一緒にお弁当を食べるのも必然と言えた。
「ねえ、静。知ってる?」
お弁当の包みを解きながらその子はたくさんある中の一つといった感じでその話題を私に持ちかける。
「何?」
「中等部にラブレター職人がいるって噂があるんだって」
「ラブレター職人?」
その子の発した単語を繰り返して、それから思い切り首を傾げてしまう。
スマートフォンが普及して、メッセージアプリの台頭で手紙なんて滅多に書かなくなったこのご時世に?
私の考えていることはその子も感じ取ったようで、というより同じことを思っていたようで「今時珍しいよね」なんて返答が飛んでくる。それには同意するしかなくて、そうだよねなんて首を縦に振る。
「なんか、よくは知らないんだけど高等部の先輩が中等部の女子からもらったラブレターを読んでめちゃくちゃ笑顔になったらしいのよ。いつもは怖いくらいポーカーフェイスなのにそれを読んでるときは誰? ってくらい人が変わるんだって。だから中等部にラブレター職人がいるって話らしいんだけど」
「へぇ……」
相槌を打ってお箸で卵焼きをつまんで口に運ぶ。
手紙といえば今年の初めに侑士先輩から手紙を書いてほしいと頼まれて以来三日に一度手紙を書いて投函しているけれど、今時私以外にも手紙を――しかもラブレターを書く子がいるなんてびっくりだなぁ。
メールや電話、ましてやメッセージアプリとは違って届くのに時間がかかるし、リアルタイムで何かを伝えるには向いていないのだけれど、便せんに向かって思いを言葉にして綴ることはとても楽しくて、手紙だったら書ける言葉というのも確かにあって。最近は手紙を書く時間が楽しくて仕方がない。あれを書こう、そういえばこんなことがあった、リアルタイムでは伝わらないけれど、確かに感じた思いを文字に起こすとその時に感じた思いも一緒に蘇ってきて自然と笑みが漏れる。
「その先輩、テニス部の忍足先輩っていうんだって」
「……っ、ごほ!」
予期せぬタイミングでの侑士先輩の登場に、ご飯が喉に詰まりかける。私の様子を目の前で見ていたからか、クラスメイトは焦って席を立つ。
「大丈夫!?」
「あ、うん……。大丈夫……」
「そう、ならよかった。いきなりむせたからびっくりしたよ」
「ごめんね」
ペットボトルのお茶を飲んで息を整えると、クラスメイトの子も大丈夫だと判断したのか椅子に座りなおす。
「静、忍足先輩と知り合いなの?」
「えっと……知り合いっていうか……お付き合いしてるよ」
「え?」
クラスメイトのぽかんとした表情にどう反応したらいいかわからなくて私も微妙な表情を作ることしかできない。でも考えてみれば、今の今まで噂話をしていたはずなのにまさかその噂話の主要人物と交際しているなんていう人物が目の前に居たらこうなるのかもしれない。
「ちょっと待って? じゃあもしかして噂のラブレター職人って静のことなの?」
「それはちょっとよくわからないけど……でも侑士先輩にはお手紙出してるよ」
「さすがに彼女持ちでほかの女子からラブレター貰って笑うわけないし……。え、じゃあやっぱり静のことじゃない!」
「そうなのかなぁ。ラブレターを書いてるわけじゃないんだけど」
「彼女からの手紙なんて全部ラブレターでしょ」
それは些か暴論じゃないかなぁ、と思うのだけどそこを指摘すれば話がややこしくなりそうだし、昼休み中にこの話題が終わるかどうかも怪しくなってしまうから口を噤む。
「噂の当人が目の前にいるなんてなんだか不思議な感じね!」
「私もまさかそんな噂が立ってるとは思いもしなかったよ」
「私、忍足先輩ってよく知らないんだけど、どういう人なの?」
「とても優しくて素敵な人だよ」
「ふーん」
「な、何……?」
クラスメイトは満面の笑みを浮かべている。そんなにまっすぐ見つめられるとどこを見たらいいかわからなくて私の視線は右へ左へ泳いでしまう。
「静、忍足先輩のこと本当に好きなのね」
「えっ」
「だって忍足先輩のこと話す静、めちゃくちゃ嬉しそうだもの」
「そ、そうかな?」
「こういうのは自分じゃわかんないものよ」
ふふ、と笑ってクラスメイトは止めていた手を動かしてお弁当を食べ進めていく。それを見て私もまだ半分も手をつけていないお弁当に視線を落とす。
自分ではわからないけれど、他人から見れば私の侑士先輩への気持ちは丸わかりであるという事実に次第に胸がいっぱいになってしまう。
結局、その日のお弁当は半分しか食べられなかった。


一年越しの、
ちょうど部活動が休みというのもあって、俺は静を久しぶりにデートに誘うことにした。突然のことだし断られるかもしれない、と思いつつスマートフォンを取り出して、アドレス帳から静の番号を呼び出して通話ボタンを押す。何回かのコールの後、可愛らしい声が受話口から聞こえてくる。
「はい、侑士先輩どうかしましたか?」
「静、今日これから時間あるか?」
「大丈夫ですよ」
「ほんなら、久しぶりにデートせぇへん?」
「はい、喜んで」
まるでどこかの居酒屋のような快活な返答に、小さな笑みが漏れる。二十分後にいつもの喫茶店で落ち合う約束を取りつけると、スマートフォンの画面を切りポケットに突っ込む。昇降口から一歩踏み出すと、途端に真夏の洗礼を喰らう。数十歩も歩いていないというのに、シャツには既に汗染みができている。
「今年も暑くなりそうやなぁ」
独り言は灼熱のコンクリートにじわりと溶ける。滝のように流れる汗をハンカチで拭って、待ち合わせ場所へと急ぐ。件の喫茶店は俺と静の初放課後デートで赴いた場所で、あれ以来月に一度ないしは二度くらいのペースで利用させてもらっている。特に月替わりのケーキセットはとても美味しくて、いつもそればかりを頼んでしまう。今日は暑いからアイスティーとのセットがいいかもしれない、だけどアイスみたいな冷たいものもいい、などと考えながら喫茶店のドアを開ける。ドアに取り付けられた入退店を知らせるベルが鳴り、それを合図にいつものように店員が顔を出す。
「こんにちは。今日はお一人ですか?」
「あ、いえ。あとから来ます」
「畏まりました。お席にご案内します」
常連、とまではいかないけれど、こうして店員に顔を覚えてもらえるくらいはここに来ていることに嬉しさと気恥ずかしさを感じながら、案内された席に座り一息ついたところで背後から来店を知らせるベルが響く。それからこちらに向かう足音。
「すみません、お待たせしました!」
焦りを孕んだ声色に笑みを作って応える。
「俺も今来たとこや」
俺の見せた笑みに声の主――静はそうですか、と小さく零してから一つ息を吐き出して向かいの席に着席する。走ってきたのか、額に大きな汗の玉をいくつも作っていて俺が悪いわけではないのに、なんとなく申し訳なく思ってしまう。
俺はどこかに行ったりするわけでもないし、ましてや消えたりするわけでもないのに。こんな真夏日に走ってこなくたって、なんて言うだけ野暮だとわかっている。わかってはいるのだけれど、やっぱりどうしてか口に出してしまう。
「静。今日めっちゃ暑いんやから走って来んでもよかったんやで」
「いえ、でも、侑士先輩をお待たせするわけには」
「そんな十分二十分待ったところで怒らへんし、むしろ暑い中走ってこられて体調悪なったらそっちの方が嫌やわ。彼氏を少し待たせるくらいがちょうどエエんやで? それに俺、待つんは嫌やないしな。可愛え彼女を待っとるやなんてそれこそ彼氏冥利に尽きるっちゅうねん」
「えっと……」
俺が言葉を連ねるほど静の表情からは困惑色が色濃く出ているような気がするけれど、そこは見ないふりをしてしまう。大事なのは俺が思っていることを静にきちんと言葉にして伝えることなのだから。
いつも静は待ち合わせ時間よりもかなり早く待ち合わせ場所に居る。人を待たせることに抵抗があるのかもしれないけれど、それは俺も同じであるしそれに加えて俺には男の、否彼氏のプライドというものがある。いつまでも彼女を先に待ち合わせ場所に居させるというのもいただけない。
「静。今度から焦って走って来んでエエからな」
俺、静のこと待ってたいねん。
ぎこちない笑みを作って静に思いを伝えれば、静から返ってきたのは戸惑いながらの首肯だった。
これだけ言えば、次からは走って来たりはしないだろう……と思いたい。
話題を変える意味も込めてメニューを静の前に差し出す。
「今日は何にしよか」
「えっ、あ、はい。どうしましょう」
話題の切り替えに頭がついていけていないのか、静は一瞬間を置いてからメニューへ視線を落とす。その視線を追って俺も視線を下ろす。今日は特に暑いからいつものケーキセットではなくて冷たいもので気分を一新したい。そしてそれは静も同じだったようで。
「侑士先輩は決まりましたか? 私はこれにしようと思うんですけど」
静の白い人差し指が示した先にはゼリーの上にシャーベットが乗った見た目にも涼やかなデザートの写真。
「美味そうやなぁ。俺はこっちにするわ」
そう言って示したメニューを見て、静はきょとんとした表情をして首を傾げる。意外だ、とその瞳が俺に訴えかけてくるのがありありとわかる。
「これ、クリームソーダですか?」
「せやで。実は俺、クリームソーダって飲んだことあらへんのや。やから飲んでみたくてな」
「今、クリームソーダって置いてるところ少ないですよね」
「こういう喫茶店くらいしか置いとらんよな。あ、やけどファミレスとかならあるんかな」
「そうですね……。でもファミレスのとこういう喫茶店にあるやつはちょっと違う気がします」
「せやな。あ、注文お願いします」
ちょうどそばを通りかかった店員を呼びとめて、自分と静の分の注文を済ませる。程なくしてクリームソーダとゼリーのデザートがやってくる。二人、一緒のタイミングで両手を合わせて口をつける。
店内は冷房が効いているしそのおかげで幾分か体は冷えたとはいえ、喉を通り抜ける炭酸とアイスの甘みは格別だった。一息に半分ほどまで飲み進めると、静から小さな笑い声が聞こえてくる。
「侑士先輩、よっぽど喉乾いてたんですね」
「ん? まあ、せやなぁ。そういう静もめっちゃ食べとるやん」
「ふふ、そうですね。冷たくて美味しいのでどんどん食べちゃいますね」
にこにこと美味しそうに食べる静はとても魅力的で、魅惑的で。それでいてとてつもなく愛おしくて、俺の口角は自然と上がる。そしてそんな俺の顔を見て、静は戸惑うばかりで。
「えっと、侑士先輩? 食べますか?」
どうやら静は俺の表情を物欲しそうにしていると勘違いしたようで、どうぞと器を差し出してくる。
そうやないんやけどな、と口が滑りそうになったところで、ふと脳裏にあることが思い出される。自分でもなんでこのタイミングで思い出したのかはわからないけれど、ちょうどいいからあの時のリベンジをしてもらおう。
「一口もらってもエエ?」
「どうぞ」
「そうやなくて、食べさせてや」
「へっ!?」
予想外の返答に、静の瞳は大きく見開く。
「だめか? 岳人にはやったやん」
「そ、それは……!」
わざと意地の悪い言い方をすれば、困惑と焦りで静の眉がハの字になる。困らせたいわけではないし、虐めたいわけでもないけれど、静の表情を見ているとどうにも意地悪をしたくなってしまう。だけど、本気で静が拒むのなら強要はしない。百面相しながら云々と悩む静を見ながらクリームソーダを飲み切ると、漸く静の顔が上がる。
「は……っ、恥ずかしいので一回だけ……です」
「十分や」
笑みを作って、こちらに寄せられていた器を静の方へ戻す。何度目かの深呼吸の後、スプーンでゼリーとシャーベットを掬ってどうぞ、と差し出してくる。それを口に含むと、途端に静の頬が染まる。
「や、やっぱり恥ずかしいです……!」
「これからもっと恥ずかしいことしてくんやからこれくらいで音を上げられたらかなわんわ」
「えっ、あ……え?」
本音を混ぜた言葉に静は恥ずかしさと動揺で持っていたスプーンを落としてしまう。カラン、と金属音が響く。
「覚悟しといてや」
色々な意味を込めた笑みを作れば、静はこれ以上ないくらい真っ赤に染まった頬を両手で隠すようにする。
「――っ、む、無理です!」
その日一番の叫びはそれはそれは店内に大きく響いたのだった。