次は君から

九月も中頃に入ったというのに太陽はまだまだ夏を終わらせないとばかりに燦々と輝き、カーテンの隙間から差し込む光は明るいを通り越して眩しいとさえ感じる。
勉強机に向かい、ふぅ、と一つため息を吐き出した少女――広瀬静はノートの中央にシャープペンシルを転がす。
午前中の間にクーラーの効いた自室で昨日出された英語の宿題を終わらせてしまおうと意気込んだまではよかったが、これがなかなか厄介者で一向にページが進まない。
一つ単語が出てくるたびに辞書を引き、意味を調べ教科書に書かれた単語の上にそれを書き記していく。
そうして一文全ての単語の意味を調べ終えてから文章を翻訳していくのだが、意味の通ったものにならなければ辞書でまた調べなければならない。
なかなかに根気のいる作業故に一文を終えるごとに静の口からは小さなため息が漏れ出す。
「……よし!」
気合いを入れ直すように声を上げ、静は辞書と教科書と睨み合いをしながらノートにシャープペンシルを走らせていく。
静かな室内にカリカリ、とゴシゴシという小さな音だけが響き、そして――。
「お……わったー!」
手足をぐっと伸ばし、静は歓喜の声を上げる。と、同時に階下から聞こえてくるのは静の母親の声。
「静ー。ちょっと来てくれる?」
「はーい」
呼ばれるがまま静は自室から階下へと向かう。
「なーに、お母さん」
「ちょっと、見て! これ!」
興奮気味に話す母親のテンションに若干ついていけず、静は内心首を傾げる。
というのも普段はこんなにテンションが高くない母親がこうも嬉しそうに話しているのが気になったからだ。おそらく相当いいことがあったのだろう、というのはなんとなく察せられる。しかしそれが一体何に起因するものなのかがわからなかった。
けれどそれもすぐに判明する。
「商店街のくじ引きで当たったのよ!」
そう言って、母親が静に見せてきたのは水族館のペアチケットだった。そこはつい最近リニューアルされたばかりのところで、静も、そして母親も一度行ってみたいと話していたところだった。
これは母親のテンションが上がるのも頷けるというものだ。
「すごいじゃない!」
水族館のペアチケットなんてそうそう当たるものではない。それを引き当てた母親の強運に静はただただ感嘆するほかない。
その様子を母親は優しい笑みで見つめた後、
「これ、静にあげるわ」
とそれを静に向けて差し出す。
「え?」
母親の予想外の言動に静の瞳が大きく見開く。
「だって、それお母さんがくじ引きで当てたんでしょ? もらえないよ」
「いいから」
「じゃ、じゃあ一緒に行こうよ」
尚も言葉を重ねる静に、母親は再び優しい笑みを浮かべ、半ば押し付けるように静にチケットを渡す。
「こういうのは彼氏と行きなさい。いるんでしょ?」
「へ……!? あ、えっと……」
予期せぬ方向からの指摘に静の頰は一気に真っ赤に染まる。これ程わかりやすい肯定もないというほど静の挙動は誰が見てもおかしくなる。
もじもじと肩を動かしながら漸く口から出てきた言葉は小さな肯定とそして感謝の言葉だった。

忍足侑士の広瀬静に対する印象は、面白いことを言う子、から始まった。
それが会話を重ねていくうちにどんどんその存在が大きくなっていき、姿を見かければ自分から話しかけるようになった。
そしていつのまにか目で追うようになり、気付けば好きになっていた。
九月四日。――学園祭二日目の夜。
遂に忍足は静に心の内にある気持ちを言葉にして伝えた。そして静からの思いも聞くことができ、晴れて二人は恋人同士という関係になった。
学園祭の準備期間中はテニス部の活動もあの会場でできる範囲に絞られ、控えめになっていたことと二人の予定が合わせやすかったことから休日にデートに誘うこともできた。しかし今はもう通常の活動に戻ってしまったためになかなか二人の予定が合わず、付き合い始めてから忍足は静を一度もデートに誘えていない。
それどころか学年が違うこともあってか、まともに話ができたのも数えられる程度だ。
なんや付き合う前の方が話せてた気ぃすんな。
ぼんやりとそんなことを考えながら、忍足が今日の練習を終え、部室で着替えていた時だった。
鞄の底の方からバイブ音が聞こえてくる。その短さからおそらくメールを着信したのだろう、と忍足は携帯電話を引っ張り出して画面を見る。そこに表示されていた名前は広瀬静。そしてその内容を一瞥して忍足は心の中で歓喜の声を上げる。
『母から水族館のチケットをもらったので侑士先輩のご都合が大丈夫な時に一緒に行きませんか?』
余計な言葉を使わず、短く端的でありながらも丁寧な言葉遣いと忍足を気遣う思いに溢れた、静らしさを感じる文章。
忍足は早々に着替えを済ませ部室を後にする。
万が一誰かにこのメールを読まれるとも限らないし、それに何より、帰りの道すがらこの幸福感を一人で噛み締めたいと思ったからだ。
一歩、一歩踏みしめるごとに嬉しさと幸せな思いが溢れてくる。
『エエで。来週の土曜なら午後から休みやけど、どうや?』
本当なら長々と文章を打って送りたい気持ちを抑え、わざと短く、そして相手の返答を促すような文章を送る。こう尋ねれば最低でもあと一回は静からの返答が期待できる。――とそれはすぐにやってくる。
『その日なら私も大丈夫です。楽しみにしてますね』
最後の一文に忍足は頰を緩ませた。

「うーん……こっち? それともあれかな……?」
静が忍足とデートの約束をしてから一週間が経った。そして今日がその約束の日であるのだが、当の静は姿見鏡の前で云々と唸っていた。というのも、服装がなかなか決まらないでいたからだ。
可愛いスカート系でいくべきなのか、それとも動きやすさ重視でいくべきなのか、色合いは、半袖か長袖か、などと考えているうちに時間はどんどん過ぎていく。
「……どうしよう」
悩みを口に出したところで解決するわけもなく。結局悩みに悩んだ挙句、静は館内を歩き回ることを考えて動きやすさ重視の服装を選ぶ。
ふと時計に目をやればそろそろ家を出なければならない時刻となっていて、静はベッドに置いてあった鞄を手に取る。姿見鏡の前で最終チェックをして、自分にOKを出して自室を飛び出す。
階下で母親とばったり出くわすと、とても楽しそうな表情を浮かべて送り出してくれる。
「帰ってきたら感想聞かせてね」
それは水族館に対するものなのか、それとも――と考えそうになって、静は慌てて思考を切り替える。
「う、うん」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「いってきます!」
玄関のドアを後ろ手で閉めて、静は忍足との待ち合わせ場所へ駆けて行った。

静が待ち合わせ場所へ辿り着いたのはいつもの通り待ち合わせ時間から十分以上も前だったのだが、そこには既に忍足の姿があった。静の姿を見つけた忍足がにこやかな笑みを浮かべて手を振る。もしや待ち合わせ時間を間違えたのかと静が慌てて駆けて行けば、
「そないに慌てんでもええで」
と落ち着いた声が飛んでくる。
「侑士先輩! お待たせしましたか?」
静の開口一番の言葉に忍足は、ふっと柔らかく笑う。その笑みが静の胸をきゅっと締め付ける。
「全然待ってへん。今来たとこや」
「そ、そうですか……」
忍足のその言葉に確かに安心したはずなのに、静の動悸は治まらない。むしろ時間を増すごとに酷くなっている気さえする。
それはきっと忍足の格好に起因する。
今日の忍足の服装は以前付き合う前の静と出かけた時に着ていたものだ。忍足からしてみれば特に気取ることのない普通の出かけ着なのだが、静からしてみればたとえ二度ほど見たことがある服装だったとしても、付き合い始めてから最初のデートということもあって以前よりも何倍も格好良く見えてしまっているのだ。
「静ちゃん、今日はズボンなんやね」
「へ? あ、はい」
「残念やな」
「なんでですか?」
「自分足綺麗やん。ズボンで隠さんでもええやん」
「侑士先輩、前も言いましたけどそういうのオヤジくさいですよ」
静の苦笑まじりの指摘に忍足も苦味を交えた表情で応えるほかない。
数秒そのまま見つめ合った後、静の表情ははにかむような笑みに変わる。忍足もそれに倣ってうっすらと笑みを浮かべる。
「行きましょうか」
「せやな」
少々のぎこちなさを内包しながらも二人は水族館へ向けて歩き出す。
「…………」
「…………」
こうして互いの隣を歩くのが久しぶりすぎて二人とも何を話したらいいか分からず口を噤んでしまう。そうなると結果として二人は歩くことに専念してしまう。
静と忍足とでは歩幅が全然違う。なので両者の距離は開くのが普通だろう。けれど実際は忍足が静の歩幅に合わせて歩いているために二人の距離は開くどころかずっと一定に保たれている。それは静にとって申し訳なさを感じると同時にありがたさと嬉しさを感じるものでもあった。
侑士先輩、優しいなぁ。
静はそっと心の奥底で呟く。
「そういえば静ちゃんのおかん、すいぞっかんのチケットなんてどうしたん?」
「え?」
ぼうっとしていたから聞き違えたのかと静は首を傾げる。しかし忍足も静が何故首を傾げているのかわからず、同様に首を傾げることしかできない。
「すいぞっかん、ですか?」
「あ、そっちかい。なんや関東の人間はすいぞっかんて言わへんもんなぁ」
「そうですね……。あんまり聞いたことないですね。だから侑士先輩が言ってるのを聞いてなんだか不思議な感じがしました。……あ、それで水族館のチケットの話でしたっけ?」
「ああ、それや。なんやかすっかり話が逸れてもうたな」
「えっと、母が商店街のくじ引きで当てたらしいんです」
「ホンマか。そりゃごっついなぁ」
「そうなんですよ。珍しく母のテンションが高かったので本人も相当嬉しかったんだと思います」
そう話す静の表情はとても明るく、まるで自分のことのように喜びに満ちたものだった。それは忍足の心臓を鷲掴みにするには十分すぎるものだった。
ああ、ホンマ可愛えな。
何度となく本人に伝えてきた言葉が忍足の胸の内にじんわりと広がっていく。――と、ここで忍足の頭に一つの疑問が浮かび上がる。
「それならなんで静ちゃんのおかんはチケットをくれたん? めっちゃ喜んでたんやろ?」
「あ、はい……、えっと」
静は恥ずかしそうに一度目を伏せ、そして何かを決意したかのようにゆっくりと忍足へと顔を上げる。その頰はうっすらと桃色に染まっている。
「こ、こういうのは彼氏と行って来なさいって……」
彼氏。
その単語に自分の頰が緩みそうになるのを忍足は感じる。慌てて静から視線を、顔を逸らし「さよか」と返すのが精一杯だった。
そんな二人の微笑ましい様子を、周囲の人間は見ているこっちが恥ずかしいわ! というツッコミもせずに見守っていることを当の二人は気付かないでいた。

そんなこんなで水族館に辿り着いたのは十三時半を回った頃になってしまった。昼食をまだ摂っていなかった二人はまず水族館のすぐそばにある、学生にも優しい手頃な値段のレストランに入り、各々食べたいものを注文した。
食事を終えた二人はいよいよ本日のメインイベントである水族館への入館を果たす。
入場口でもらったパンフレットを見ながら、静は経路にある展示を確認していく。
「最初はここら辺の海に生息しているお魚が見られるらしいですよ」
「なんや、めっちゃ庶民派な始まりやな」
「そうですか? 私はこういう地元に根付いた展示も好きですよ」
「まあ、自分が楽しいならエエよ」
「はい!」
静の花のような笑みに忍足も柔らかな笑みで返す。
それが両者の胸を甘く痺れさせることになるのだが、幸か不幸か周りが薄暗いからかその表情や挙動の変化が相手に伝わることはなかった。
近海エリアを堪能した二人は次にクラゲ展示へと歩みを向ける。そこはクラゲの姿をよりはっきりと見せるために近海エリアよりもさらに場内の照明が落とされていて、ロマンティック、幻想的と言えば聞こえはいいが、ほぼ水槽しか光源のない空間だった。
だから、だろう。いつのまにか静と忍足の間には距離ができてしまい、静が気付いた時には忍足とはぐれてしまっていた。
ほぼ真っ暗な空間に一人になってしまったという状況に静の胸の内では途端に不安が存在感を主張してくる。
どうしよう……侑士先輩とはぐれちゃった……。
そう思った瞬間、静は踵を返し忍足を探しに行――
「静ちゃん」
暗闇で腕を引かれ、静の体はバランスを崩しよろける。転げる、と目を瞑る静だったが、いつまでたっても衝撃や痛みはやってこない。代わりにやってきたのは温もりだった。
「すまんなぁ、大丈夫か?」
その穏やかで優しい声に静はそっと瞼を開ける。暗がりではっきりとは視認できなかったが、声や匂いといった特徴から目の前の人物は忍足であると確信する。そしてその確信と共にやってくるのは、静は今、忍足に抱きしめられている、という状況。意識してしまえば頬が真っ赤に染まるまでにそう時間はかからなかった。
「だ、大丈夫です。……ゆ、侑士先輩?」
「なんや?」
「あ、いえ……なんでもない、です」
恐らく抱きしめられているこの状況では静の顔の赤さなど見ずとも伝わってしまっているのだろう。それがなんとも言えない羞恥心を掻き立てられ、静は閉口せざるを得ない。
「次行こか」
「……はい」
いつの間にか静の体は忍足の腕から解放され、代わりに優しい力加減で手を握られる。ちょっと手を振れば簡単に振りほどけてしまいそうな、そんな力加減だった。
クラゲの展示から出て、静はそっと忍足の表情を窺うべく顔を上げる。すると、忍足の方も静の方へ顔を向けていたところで二人の視線はばっちりと絡み合う。静も、そして忍足も小さく口を開いたはいいもののなかなか言うべきことが見つけられない。
ほんの少しの間沈黙が二人を包み込んだが、意を決したのか忍足が静の握った手ごと自分の手を上げる。
「迷子になっても困るしこれからはこうして手繋いどこか」
手を繋ぐ、という表現と今の状態とでは若干違いはあるものの、忍足からしてみればこれが精いっぱいの言葉だった。それに対し静は小さく頷いたかと思えばするりと忍足の手から自分の手を抜き取り、ちゃんと忍足の指に自分のそれを絡ませる。所謂世間で言うところの恋人繋ぎに、忍足の心臓はひときわ大きく高鳴る。
「静ちゃん」
「はい」
「あんま可愛らしいことせんといてくれるか」
「……? それってどういう?」
「あー、エエわ」
不完全燃焼な会話に静は首を傾げるほかない。けれど忍足はそれ以上会話を続ける気はなかったのか、「行こか」とだけ言って縫い付けていた足を動かす。手を繋いでいるからか必然的に静の歩みも再開されることになる。
クラゲの次はペンギンを展示するコーナーらしく、可愛らしい仕草のペンギンに静の視線は釘付けとなる。
「侑士先輩見てください! 可愛いですね!」
「せやな」
「あのペンギンは侑士先輩に似てますね」
「どれや」
「あの子です」
そう言って静が指さした先にはほかの個体よりも少しだけ背が高くすらっとした体型のペンギンがいた。ペンギンに似ていると言われ、何と返したらいいかわからない忍足の横で静は柔らかな笑みを作る。
「凛々しい顔つきとか、立ち姿とかそっくりです」
「ま、そういうことにしとこか」
これ以上会話を続けたところでこの微妙な気持ちが解消できるとは到底思えなかった忍足は半ば強引ともとれるような言い方でピリオドを打つ。それに対し静も特に続けることなく、二人は自然な流れで最後の展示――この水族館が一番推しているイルカショーへとやってくる。
「次のショー開始までまだあと十五分くらいありますね」
パンフレットと腕に巻かれた時計を見比べて、静は忍足へ視線を投げる。
「それなら席取っとこか。静ちゃん、どこらへんがエエ?」
「えーっと、今日は着替えを持ってきてないので濡れないところがいいです。近いところだと迫力があっていいんですけど、ちょっと離れたところから全体を見るのも楽しいですよね」
「ほな、あそこらへんはどうや?」
忍足の指さした場所は観客席の真ん中あたり。水槽から近すぎず、けれど遠すぎない――濡れずに、迫力がありつつも全体を見られる絶好の位置だった。
「はい。いいと思います」
「じゃ、先席座っとって。俺なんか飲み物買うてくるわ」
「あ、それなら私も一緒に……」
「いや、静ちゃんは座っとって。せっかくあんないい席が空いてんねん。誰ぞに先越されたら悔しいやろ」
忍足の言うことは尤もだった。静が周りを見渡せばショーの開始時間に合わせてなのか続々と人が集まってくるのが見える。この分では静が忍足と一緒に観客席から目を離している間に席が埋まってしまうことも考えられる。
せっかく忍足がいい席を見つけてくれたのなら、自分はそこで待っている方がいいのかもしれない。
咄嗟にそう考えた静はわかりました、と頷いてから忍足と別れ一人座席へと着席する。
鞄を膝の上に乗せ、何気なく水槽の方へ視線をやる。するとどうだろうか。半屋外であるからか、天井から太陽の光が差し込み、水槽の水面に反射してきらきらと輝いている。
「綺麗……」
「せやろ」
独り言のつもりの言葉に反応をもらい、静は慌ててその声の主の方へ首を傾ける。と、そこには両手にドリンクカップを手にした忍足が見透かしたような笑みを浮かべて立っていた。
「その席、ちょうど上から日の光が差してきてエエ感じやろなて思ってたんや」
ほい、と忍足は右手に持っていたカップを静に差し出す。
「ありがとうございます。あの、お金は」
「エエて」
「でも」
「今日はデートやろ? やったらご馳走させてな」
忍足のふわりとした笑みに負け、静は再び礼を言ってからストローに口をつける。甘酸っぱい柑橘系のジュースが乾いた喉にゆっくりと染み渡っていく。
「美味しいです」
「そりゃよかったわ」
「…………」
「…………」
止まってしまった会話。話題をなかなか見つけられず、静も忍足も言葉が続かない。けれど沈黙が居座ることにまだ慣れていない二人は結局何かを喋ろうと顔を見合わせたところで、ショーの開始を告げるアナウンスが会場に響き渡る。
「は、始まりましたね!」
「せやな」
飲みかけのカップをホルダーに収め、静と忍足はイルカショーを見るのに集中する。
トレーナーとの見事なコンビネーションや目を見張るようなジャンプ。そのどれもが高い完成度を誇っていて、二人の目を奪っていく。ショーの終わりにはもっと見ていたいと名残惜しさまで感じてしまうほどの素晴らしいイルカショーに静のテンションはこれでもかというほど上がっていた。
「すごかったですね! 侑士先輩!」
「せやな。……ていうか自分、ものすごいテンションの上がりようやな」
「そうですか? そんなことないと思いますけど!」
「いや、相当上がっとる思うで」
忍足の苦笑交じりの声に構うことなく、静は思いのままに言葉を連ねていく。
「イルカとトレーナーさんとの連携もさることながら、最後のあの大ジャンプは本当にすごかったですね! イルカってあんなに飛べるんですね! びっくりしました!」
「俺は自分のテンションの上がりようにびっくりしてんで」
ぼそりとこぼすように呟いた忍足のその言葉は静には届かなかったようで、静は小首を傾げながらもそれに追及することはなかった。
飲み終わったカップをゴミ箱へ捨て、二人はイルカの水槽を後にする。
「あ、侑士先輩。お土産見て行ってもいいですか?」
「エエよ。見よか」
静の提案で土産物を売っている売店に立ち寄った二人は十五分後に合流として一旦別行動をとることとなった。
家族への――特にこのデートのきっかけをくれた母親に向けての土産物を選んでいる最中、静の目にあるものが留まる。
それはうぐいす色の綺麗な石がついたストラップだった。水族館とはあまり関係のない、どこにでもありそうな物だったが、静の瞳にはその石の色がとても魅力的に思えた。
というのも、以前忍足と好きな色の話題になった時に訊いた色がうぐいす色だったのだ。その当時はなんて渋い色を……なんて思ったものだが、こうして実際見てみるとなかなかに味わいがある、そして忍足の好きそうな色であることがわかる。
再びストラップを見つめ、静はその中の一つを手に取り、籠の中へ入れるとそのままレジへと向かう。
会計を終え、売店から出ると、そこにはすでに忍足の姿があった。
「すみません、お待たせしました」
「待ってへんよ。それじゃ帰るか」
「はい。今日はありがとうございました。あの……これ、よかったらどうぞ」
そう言って、静は袋の中から先ほど購入したストラップを忍足へ差し出す。それを見て、忍足は目を見開いた後、自身も持っていた袋から静が差し出したものと同じもの――ただしついている石はうぐいす色ではなく淡い桜色のものを取り出して静へ見せる。それを見た静はぱちくりと何度か瞬きをする。
「俺ら同じこと考えてたんやな」
「ふふ……そうですね」
互いにストラップを交換して、その場で携帯電話に取り付けるとチャリ、と小さな音を奏で揺れる。それは夕日に反射して、まるで今日の思い出を閉じ込めたかのようにきらきらと輝いている。
「侑士先輩」
「なんや」
「手、繋いでもいいですか?」
「エエよ。ちゅうかもうそんなの訊かんでもエエやろ。俺ら恋人同士なんやし」
な? と笑って、忍足は静の手を取る。
静の手よりも大きく少し骨ばった忍足の手。その手に自分の指を絡め、静はにこりと笑う。
「また来たいですね」
「せやな」
後ろに伸びる二人の影は今日の終わりを惜しむようにぴったりとくっついていた。