Es war schade

「うぅ……」

向日先輩の納豆たこ焼き事件から一時間後。未だに残る口の中のなんとも言えない感じに眉を歪ませて、口元を押さえていると、見かねた様子の声が背中にぶつかる。

「広瀬さん、大丈夫か?」

ゆっくり後ろへ振り返り、声の主を確認する。が、私の視界に入るのは白いシャツと赤いネクタイだけ。少しだけ視線を上げる。――と、青みがかった髪がかかり、丸眼鏡の奥で光る切れ長の瞳がじっと私を見つめている。

「忍足先輩……」

ここですぐに大丈夫だと言えればよかったのだけど、私の口はどうしても大丈夫の五文字を言うことができない。そんな私の様子を見て、忍足先輩は苦みを混ぜた笑みを作る。

「岳人がすまんかったな。お詫びっちゅうわけやないんやけど、今からたこ焼き焼くから食べてってや。ああ、納豆は入れんから安心してや」

忍足先輩の冗談に、私は僅かに笑うことでしか返せない。
どうして忍足先輩がここまでしてくれるのかわからないけれど、せっかくのご厚意なのだし、ちょうど小腹も空いていたということもあって、その申し出をありがたく受ける。はい、と短く言えば、ほな、と忍足先輩は踵を返す。その背中を追って私も歩き出す。

「ちゅうか岳人もなんちゅうもん作るんや。たこ焼きをなんやと思っとるんや……」
「向日先輩も悪気があったわけじゃないと思いますし……」
「やからってアレはないやろ」

ため息交じりの声にどう返したものか悩んで、結局私は口を噤むことしかできない。
調理室にたどり着いて、椅子に座るよう促される。忍足先輩がコンロの上にたこ焼きプレートを置くと、コンッと小気味のいい音が鳴る。慣れた手つきで窪みにタネと具材を流して焼いていき、私の前に用意されたお皿にたこ焼きが次々と量産されていく。

「火傷せんようにな」
「ありがとうございます」

手を合わせ、「いただきます」と呟くと忍足先輩から「召し上がれ」と返ってくる。それを聞いてから楊枝を刺して口の中へ迎える。
外はカリッとしているのに中はトロトロで、美味しくて楊枝を刺す手が止まらない。

「めっちゃ美味そうに食べてもろて嬉しいわ」

洗い物まで終え、向かいに座った忍足先輩が微笑ましいものを見るかのような表情を浮かべて、じっと私を見つめていることに気付く。普段食べているところを誰かにじっと見られるということがないからか、急に恥ずかしくなって自然と手が止まってしまう。

「どないしたん?」
「あっ、えっと……、その、食べてるところ見られるの恥ずかしいなって思いまして」
「俺のことは気にせんでエエよ。いないもんやと思うてくれればエエんやけど」
「さっ、流石にそれはできないです……。というか、なんで私が食べてるところをじっと見てるんですか? 楽しくはないと思いますけど」
「言うたやろ? 広瀬さんが俺が作ったたこ焼きをめっちゃ美味そうに食べてくれるんが嬉しいんや。そらじっと見たくもなるわ」
「よくわかりませんが……」
「やから気にせんでエエて」

はは、と笑いながら、忍足先輩は新しい楊枝を一本摘み、それをたこ焼きに突き刺す。鰹節と青のりが落ちないようにゆっくりと持ち上げたかと思えば、それを私の方へ差し出してくる。

「なんですか?」
「あーん」

言葉と行動がすぐに結びつかなくて、首を傾げる。その間も忍足先輩は手を引っ込めることなく、ずっと私に向けてたこ焼きを差し出し続けている。見ようによってはシュールというか、誰かに見られたら確実に何をやってるんだと言われるような光景なことはわかる。
ややあって、忍足先輩から僅かに眉を下げて「食べてくれへんの?」と言われ、初めてそれが自分に向けてのものであることを知る。というか、調理室には忍足先輩と私しかいないのだから、それはもう鈍いもいいところで。
そして思い出すのは一時間前の向日先輩とのやり取り。
ようやく自分の置かれた状況を正確に把握し、一気に頬に熱が集まる。

「じっ、自分で食べられます!」
「ん」

短い返事の後、忍足先輩はあっさりとたこ焼きをお皿に戻す。てっきり私が忍足先輩の手から食べるまでずっと続くのかとばかり思っていたから、その行動は驚き以外の何物でもなくて。
なんだか心が空回りするというか、こんなにもあっさりと引き下がられてしまうと前のめりに倒れそうになる。

「広瀬さんホンマおもろいな」
「面白くはないです」
「そういうんは自分やとわからんもんやで」

口角を僅かに上げて、忍足先輩は目を細める。その表情で、揶揄われていたことを知る。

「揶揄わないでくださいっ」

もうっ! と口をへの字に曲げても忍足先輩は表情を崩さない。それがなぜだか悔しくて、私は残っていたたこ焼きを口に放り込んだ。

(残念でした)

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学プリリアルウィーク企画「君と僕が綴るキセキ」様に寄稿したもの。
素敵な企画に参加させていただきありがとうございました!